新型コロナウィルスの感染拡大防止のため、外出自粛が呼びかけられた2021年のお正月。
私の今年の始まりはどこにも出掛けることなく、朝から飲み食い三昧の寝正月となりました。三が日を終え現実を直視して驚いたのが、体重計の数字。なんと年末から4kgも増加・・・。
そういえば今年の抱負に立てたのは「もっと健康に気を配る」だったっけ・・・とお腹をつまみながら反省しても何も始まらず。
正月休みに読むつもりで積読したままだった健康に関する本のページを開き、布団でゴロゴロしながら読み進めていたところ、言葉に関しての印象的な文章に出会いました。睡眠不足と身体のダメージに関して書かれた箇所からの引用です。
そもそも、彼ら*が使う言葉には「不眠」や「寝不足」のような単語すら存在しなかったというから驚きです。狩猟採集民には寝不足の感覚など想像もつかないのでしょう。
引用元:最高の体調(著者:鈴木祐)
*執筆者注:彼らとは「ナミビアやタンザニアの狩猟採集民」
感覚がないので言葉もない。
つまり、ナミビアやタンザニアの狩猟採集民には「不眠」や「寝不足」といった感覚がなく、認知もなされず、意味づけもなされない。よって当然ながら、それらに対応する言葉は存在しない、ということです。
「感覚がないので言葉もない」というのは、改めて考えると至極当然のことなのですが、日々同じ言語だけを使っているとなかなか意識しないことではないでしょうか。
ところで、翻訳の仕事をしていると、その感覚がないために日本語に訳しにくい英語と出会うことがあります。逆もしかり、母語の日本語では当然の感覚がなく、そのために訳しにくい英語もあります。
訳しにくい英語
engage/engagement
翻訳中に出会うと、「ウワッ!」という声と共に憂鬱な気持ちになる単語の一つです。日本語としての「エンゲージ」は「婚約(する)」ですが、それはこの言葉がもつ意味のほんの一部にすぎません。
engageを英和辞典で調べてみると、次のようにあります。
他動詞
1. [be engaged to] ~と婚約している
2. ~を従事させる、没頭させる
3. ~を呼び起こす
4. ~を雇う、契約する
自動詞
1. 従事する、参加する、関わり合う
2. 交戦する
3. 噛み合う
(出典:ジーニアス英和辞典 第4版)
同辞典の原義解説によると、もともとは「何かを担保に入れて誓約する」という意味だったようですが、「誓約/契約で縛る→従事させる」という意味に変化してきたようです。
たとえば会話にengageとなれば、別のことをしながらではなく積極的に会話に参加し、相手に興味と関心を示すということになります。
マーケティング文書などで「顧客の自社サービスへのengagementを高める」といえば、顧客に自社サービスへの愛着を深めてもらうということ。
企業目標として、社員がengageする会社であることを挙げている会社もあります。仕事にengageしている社員とは、主体的に仕事に取り組み、会社や組織の成長に対して当事者意識を持っている社員のこととなるでしょう。
ここまで見てきて思われた方もいるかもしれませんが、engageはシンプルな日本語にすることが難しいのです。さらには、自動詞の意味「交戦する」「噛み合う」にあるとおり、engageには双方向の意識があり、一方的なものではありません。
engageの意味をまとめようとするなら、「対象を意識し積極的に働きかけ、その対象と向き合い、その対象もこちらを向く」となりましょうか。
私は少なくとも現時点では、この双方向の意識まで含めたコンパクトな日本語訳を知らないため、engage/engagementに出会うたびに、訳出に四苦八苦せざるを得ないのです・・・。
accountability
この単語もまた、翻訳中に出会うと、「ウワッッ!」という声と共に憂鬱な気持ちになる単語の一つです・・・。ジーニアス英和辞典(第4版)で意味を調べてみると
(上位の人の、経過・理由・方針などの)説明責任
とありますが、「説明責任」とは一体何でしょう?ただの「責任」とは何が違うのでしょうか。字面から読み取ると「説明する責任」となりそうですが、たとえば「説明責任を果たせ!」と言われて淡々と説明し「責任は果たした。これでいいでしょ?」となるのでしょうか。
ちなみに研究社の新英和中辞典では、accountabilityの日本語に「責任(のあること)」と書かれており、類語のresponsibilityにも同じ日本語「責任(のあること)」が書かれています。ということは、そもそも両者の違いを表すものが日本にはないということでしょう。
日本人以外にとってもその違いは分かりにくいようで、解説サイトが多く存在します。
解説サイトを読んだ上で、accountabilityの意味をresponsibilityとの違いから特定してみると、次のとおりです。
accountability: 決定や行為の結果(過去)に対する責任、またその結果を説明する責任
⇔responsibility: 事柄や決定に対してのこれから(未来)の責任の所在
たとえば、社内の事務用品を確保するという役割をあてられたAさんがいます。Aさんは、業者に発注したり在庫を確認したりと日々の業務に責任(responsibility)をもちます。発注ミスをして社内で事務用品が足りなくなり、Bさんの仕事に支障が出た場合、Aさんはその責任(accountability)を問われます。
つまり、accountabilityの意味をまとめるならば「結果についての責めを負う」ということでしょうか。ただ単に「責任」と訳出してしまうと、文脈によっては結果に向けられた意識が反映されないかもしれません。
リサーチする中で「落とし前をつける責任」と定義している人がいましたが、言い得て妙。でも、翻訳で使えるかなぁ・・・。
commit/commitment
この単語もまた、翻訳中に出会うと(以下同文)。某社の宣伝文句で「結果にコミットする」というのがありますが、commit/commitmentもやはり日本人の感覚にはなく訳しにくいです。そのままカタカナで表現されることが多いように思います(響きもカッコいいですし)。
辞書を引いてみると「委ねる」「誓う」「約束する」「義務責任を果たす」「全てをささげる」など、一見関連がない日本語が書いてあります。全体像が掴みづらいですね。
数社の英英辞典に書かれている例文を読み込んでみて分かったcommitのイメージは、次の通りです。
「責任を持って本気で取り組む」
たとえば、よく製品パンフレットなどで見かける “We are committed to serving your needs.” という英文だったら、「お客さまのニーズを満たすことができるよう、真剣に取り組んでいます」と訳せます。
最初の宣伝文句「結果にコミットする」も、「結果に本気で取り組む」と言い換えることもできます(コピーとして適切かどうかは分かりませんが)。
commitmentも同様に、腰を据えて取り組むという意味です。
ですので、辞書に掲載されている日本語訳が間違っているということではありませんが、commit/commitmentがもつイメージを捉えた上で、かつ一見バラバラに見える日本語の意味に惑わされることなく、訳文を考えていく必要があります。
philosophy
philosophyとあると、まず「哲学」という訳語が思い浮かびます。学問の話をしているときは、だいたいにおいて「哲学」という訳語で問題ありません。ただ機械的に当てはめてしまうと、分かりにくい日本語になってしまいます。
この「哲学」という訳語は明治時代に生まれた言葉の一つと言われており、もともとの日本人の感覚にはないものです。
よって実際には、philosophyは「哲学」だけでなくもっと広い意味をもっています。
1. the study of the nature and meaning of existence, truth, good and evil etc
2. the views of a particular philosopher or group of philosophers
3. the attitude or set of ideas that guides the behaviour of a person or organization
出典:Longman Dictionary
たとえば、”don't expect anything and you won't be disappointed, that's my philosophy” という英文は、「これが私の哲学だ」とするよりは「これが私の考え方/生き方だ」とした方が分かりやすくないでしょうか。
このphilosophyがさらに訳しにくくなるのは、形容詞(philosophical)や副詞(philosophically)になるときです。それぞれの例文をご覧ください。
“He was disappointed he didn't get the job, but he was philosophical about it.”
“He shrugged philosophically”
「哲学の」や「哲学的に」としても意味が通じません。前者は「冷静になって受け止めた」、後者は「悟ったように肩をすくめた」など、哲学の意味から派生させた訳語を考えた方がいいでしょう。
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今回の記事では、日本語に訳しにくい英単語を4つ紹介しました。
本当はもっと数をご紹介したかったのですが、1語それぞれに熱がこもりすぎて超長文になってしまいそうでしたので、またの機会にしたいと思います。
次回は「英語にしにくい日本語」をいくつか紹介したいと思います。