チェッカーとして日々翻訳に触れていると、当然ですが多くの誤訳に出会います。単純な誤字から致命的な誤解に基づくものまで様々です。その修正作業の際、気をつけていることがあります。
「誤訳が見つかるのは、自分が優れているからではない」
これを忘れてしまうと、単に驕りに繋がるという自分の精神上の問題に留まらず、翻訳の品質が下がります。
自分を含め、間違いを犯さない人間はいない。当たり前のことなのですが、ひどい誤訳を見つけるとどうしても「なぜこれが分からないのか」という疑問が生じ、それが積もると「自分ならできる」と感じるようになり、粗探しを始めてしまい、「誰に向けて何の目的でチェックを行っているか」を蔑ろにしがちです。そうなると不思議と誤訳自体も見つけられなくなり、結果として品質が下がってしまいます。
チェッカーがなぜ誤訳を見つけられるのか。それは、後出しじゃんけんにも似ています。下地となる翻訳を俯瞰して観ることができる立場にあるから、間違いも見出しやすいのです。
私自身、場合によっては自分で翻訳を手掛けることもありますが、その場合は文章を一から書き起こしていかねばなりません。原文のなかで分かりづらい表現に出くわしたとき、一旦停止して、考えに考えて文章を書くことになります。するとその一文のリズム、ひいては文章全体の流れが阻害されます。この流れが乱れると、文章は途端に読みづらくなります。
個人的な経験上、誤訳は流れが乱れている箇所に生じることが多いと感じています。チェッカーの場合、翻訳者による翻訳全体を通して読むことができるので、流れが悪くなっているところを把握しやすく、そのため誤訳にも気づきやすいのです。
読み手の立場に立とうとする翻訳
優れた訳文を読むと、一文が正しく訳されているだけではなく、段落ごと、そして文章全体の構成をきちんと把握していることがありありと伝わってきます。翻訳には、単に語学力が必要なだけでなく、それ以上に文章能力が欠かせないことが実感できます。誤訳のない正しい翻訳、というだけでは達成できない読みやすさを生み出す秘訣です。
さらにいえば、これは、語学力と文章能力だけでなしえるものでもありません。突き詰めれば、翻訳者の人柄にもかかわってくると思っています。翻訳者といえば、通常であれば黒子としての存在に近いものがあり、その人柄までどうこう言うのも非常に僭越な話です。それは承知の上ですが、しかし、読み手の便宜を考え抜いた翻訳に出会うと、その翻訳者の心配り、優しさの息遣いを確かに感じます。
このような訳に出会うと、自分が優れているから誤訳が見つかるなどと考えること自体、全く無用であると気づかされます。翻訳に敬意を払いつつ、誤訳を探しだして修正し、一番の目的である「読み手の便宜」を図ることを考えるべきなのです。
もちろん、翻訳は原文あってのものです。原文作成時に読み手のことを考えてあるかどうかも肝要です。原文そのものが非常に読みづらい場合、どんなに優れた翻訳者さんによるものであっても、翻訳が際立って読みやすくなることはまずありません。
それでもなお、可能な限り読み手の立場に立とうとする翻訳を目指し、積み重ねた細やかな努力―それも、上手であればあるほど、最終的な読み手には気づかれないであろう努力―にこっそり触れることができるのは、チェッカーの醍醐味かもしれません。
とはいえ、翻訳もチェックも、どちらも通常は非常に地味な、時には無味な作業です。目を瞠るような翻訳に毎日出会えるわけではありません。産業翻訳では、ひたすら機械的に言葉を置き換えるだけの作業が続くこともあります。その中であっても、読み手を忘れないで作業することが、チェッカーに求められる心がけなのでしょう。
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