翻訳チェックというお仕事
翻訳には、納品する前に翻訳者の訳文をチェックする工程があり、翻訳チェッカーがその工程を担当します。翻訳会社によっては、コーディネーターが翻訳チェッカーを兼ねたり、チェッカーではなくレビューアなどと呼ばれたりもします。
翻訳チェッカーは、原文と訳文を突き合わせて訳文に誤りがないか確認し、間違いがあれば修正をし、さらによりわかりやすい表現になるように仕上げます。最終的な納品物の品質に関わるため、翻訳において非常に重要な仕事です。
チェックする項目は求められる訳文にもよりますが、一般的には次のようなものがあります。
・誤訳
・訳抜け
・誤字脱字/スペルミス
・文法ミス
・不適切な/わかりづらい表現
・固有名詞/数字の誤り
・表記の不統一(例:および/及び、コンピュータ/コンピューター、数字の全角/半角)
・用語やフレーズの訳の不統一
案件によっては、用語集(Glossary)やスタイルガイドに準拠しているかを確認したりもします。
また、ある程度の分量があって、かつクライアントが希望する納期に応えようとする場合、複数の翻訳者が翻訳に関わることがあります。その場合は、それぞれの訳文どうしの整合性をとるために、チェックには労力がかかります。
翻訳チェックの難しさ
チェックする項目の中では、たとえば「スペルミス」「数字の誤り」「用語集/スタイルガイドの適用」「表記の不統一」などは機械的に確認できる項目で、文字通り機械(ツールやソフトウェアのチェック機能など)の助けを借りることができます。
一方、「わかりづらい表現」や、「誤訳」の中でも論理的矛盾の有無や内容に関わるものについては、非常に神経を使います。
たとえば「わかりづらい表現」といっても、チェッカーにとってわかりやすいかどうかではありません。クライアント、さらにはクライアントが想定する読者にとっての「わかりやすさ」である必要があります。一般的に馴染みのない表現であっても、その専門分野の読者にとっては一般的かもしれません。
翻訳はその文書の専門分野に精通した翻訳者が翻訳します。一般的な辞書の意味になっていないという理由だけで、専門家である翻訳者の方が苦心してつくった訳文に手を加えてしまっては、最悪の場合は品質を落としてしまう可能性があります。
翻訳チェックは訳文の品質と完成度をあげるためのもの。修正はそのためになされなければなりません。
私自身、これまでも翻訳チェッカーとして多くの訳文をチェックしておりますが、担当させていただくたびに、チェックのこうした難しさを実感しています。
competition は「共創」?
私が翻訳者として駆け出しのころ、生物の進化論について扱った文書の翻訳チェックを担当したことがあります。
翻訳者の訳文に、“competition” が「共創」と訳出されている箇所がありました。「競争」とすべきところを変換ミスしたのだろうと判断した私は、そのように修正しようとしたのですが、なにか引っかかるものがありました。
というのも、訳文だけを読んでみると、「共創」でも内容にそれほど違和感を覚えなかったのです。
“compete” の意味を辞書で確認してみると、次のようにありました。
原義:共に(com)求める(pete)→競争する
(ジーニアス英和辞典 第4版)
また、英英辞書の “compete” の語源には、次の記載がありました。
Comes from Latin competere, "come together," but in later Latin, it developed the sense "strive together," which was the basis for the English term.
(The Free Dictionary: https://www.thefreedictionary.com/compete)
“compete” の語源に「協力する」や「共に努める」の意味があれば、「共創」で間違えではないのかもしれない。そして、生物の進化について扱っている文書であることに沿えば、種の保存のために “competition” するということは、種の未来を「競争」を通して「共創」するということなのかもしれない。
それがゆえに、「共創」として訳文を読んでも違和感がないのではないか。担当した翻訳者はこの分野に精通している。もしかしたら「共創」で正しいのかも…。
こうして、この「競争」か「共創」かについて悶々と一人で考え続け、結局答えは出せずじまい。時間ギリギリになってコーディネーターに相談したところ、スピーディーに方向性が決定。翻訳者、コーディネーター、私の三者でミーティングをすることになりました。
ミーティングで翻訳者に確認すると、「共創」は変換ミスで「競争」としたつもりだったことがあっさりと判明…。
自分だけで解決しようとした傲慢さと、訳文の品質と完成度をあげるために何をするべきかという視点が抜け落ちていたことに気づかされた、恥ずかしく苦い思い出です。
翻訳チェックの醍醐味
翻訳と言うと、翻訳者がパソコンに向かい、辞書を片手に一人で黙々と訳文を書いている様子がイメージされるかもしれません。
翻訳には翻訳者の仕事はもちろん欠かせません。ですが、翻訳文を完成させるまでには翻訳者以外にも多くの人が携わっています。
伝えたい内容と意図をもった作者、それを別の言語を使う人たちにも知ってほしいと考えたクライアント、クライアントの希望を現実にするためにプロジェクトを運営するコーディネーター・・・
翻訳チェッカーも、もちろんその一人です。その役割は、繰り返しになりますが、翻訳者が書いた訳文の品質と完成度をあげること。
“competition” の訳語をどうしようかと一人で悩んだ頃の私は、この役割を見失い、一人で翻訳チェックの工程を終えることにこだわりすぎていました。
役割を果たせれば、必ずしも翻訳チェッカーが自分だけで修正する必要はなかったのです。訳文の誤りについての判断を自分だけで抱え込まなくていいし、疑いや迷いを持ったなら、必要に応じて翻訳者やコーディネーター、そしてクライアントを巻き込んでいけばいい。
そうすることで翻訳チェッカーは、翻訳者とそのほかのプレイヤーをつないで、翻訳をチームプレーにすることができる。そして、チームで翻訳に取り組めば、訳文の品質と完成度は上がります。
翻訳チェッカーの仕事は確かに難しい。ですが同時に、その難しさの程度は、いかにして翻訳をチームプレーにするかに左右されます。
翻訳においてチームプレーをつくれること、それは私にとって、翻訳チェッカーの仕事の醍醐味でもあります。
執筆:田村嘉朗
大手通信会社ロンドン支社勤務を経て、2013年より翻訳者として活動
専門は通信、マーケティング
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