翻訳品質を保証する国際規格ISO17100:2015については、「翻訳サービスの国際規格:ISO17100とは」で説明しました。この記事では、ポストエディットについての要求事項を定めたISO18587について解説します。
ポストエディットって何?
そもそも、ポストエディットとは何なのでしょうか。翻訳業界を取り巻く環境はこの10年で劇的に変化しました。その背景にあるのは、近年注目されているAI機械翻訳の存在です。それまでは実務で耐えうる精度に至っていなかったのが機械翻訳でしたが、ニューラル機械翻訳の登場によって精度が劇的に向上し、機械翻訳を翻訳作業に積極的に取り込む動きにつながりました。
とはいえ、機械翻訳の出力結果をそのまま使うのは、まだリスクが伴うのが現状です。そこで、機械翻訳の出力データを人の手によって修正し、精度を上げる必要が出てきます。こうした機械翻訳の出力結果の後工程のことを、一般にポストエディット(Post-Editing, PE)と呼んでいるのです。
また、機械翻訳はMT(Machine Translation)と略されることが多いですので、機械翻訳とポストエディットを組み合わせた翻訳工程をMTPEと表すこともあります。翻訳メモリ(TM)やコンピュータ翻訳支援ツール(CATツール)などと合わせて、翻訳を依頼する際には覚えておきたい用語といえるでしょう。
翻訳の国際規格ISO17100とはどう違うの?
もしかすると、「ポストエディットもある種の翻訳作業なので、翻訳についての国際規格ISO17100:2015で十分なのではないか」と思う方もおられるかもしれません。
しかし、ISO17100ではポストエディットが適用の対象外と定められています(ISO17100:2015, 1)。ある一定の共通認識が確立している従来型の翻訳手法や工程についてはISO17100で規定しつつ、技術発展の著しいポストエディットについては別規格として扱うという判断なのかもしれません。
ISO17100発行から遅れること2年、ポストエディットについての国際規格がISO18587:2017として2017年に発行されました。
ISO17100とISO18587は別規格であるわけですが、多くの共通点があります。ISO17100との共通点と相違点を確認しながら、ISO18587ではどこに重点が置かれているのかを次にみていきます。
ISO17100とISO18587の関係について
まず、ISO18587はISO17100と比べて比較的簡潔な規格となっています。というのも、ISO18587で規定されているポストエディットの一連の作業は、ISO17100で規定されている翻訳作業をある意味前提としているからです(ISO18587:2017, 1 備考)。
具体的に説明すると、ISO18587にはプロジェクトマネージャの力量・資格や役割についての規定が特にありません。一方で、ポストエディタ(ポストエディットを行う人)の力量・資格(ISO18587:2017, 5.1, 5.2)については、ISO17100で規定している翻訳者の力量・資格と同じフレームワーク(ISO17100:2015, 3.1.3, 3.1.4)が適用されています。
唯一異なる点としては、ISO18587では実務経験として「翻訳又はポストエディット」としていること(ISO18587:2017, 5.2)、そして「専門家としての意識」(ISO18587:2017, 5.3)という要求事項が追加されていることでしょう。
このことからISO18587はISO17100のプロセスを踏まえて拡張しつつも、全体の作業プロセスの中でポストエディットに関わる部分だけにフォーカスを当てた規格ということができます。実際の運用という観点からすると、プロジェプロジェクトマネージャエディタという人的なリソース管理等については、ISO17100に委ねなければならないのが実情でしょう。
ポストエディットには2つの種類がある
ここではポストエディット作業においてISO18587の要求事項を詳しくみていきます。まず注意したいのが、ISO18587で規定しているのは、フルポストエディットという作業である点です。フルポストエディットよりも作業を簡素化したライトポストエディットについては適用の対象外となっています(ISO18587:2017, 1)。
フルポストエディットとライトポストエディットについては以下のように定義されています。
フルポストエディット:
「人による翻訳(3.4.3)によって得られる製品に匹敵する製品を制作するためのポストエディット(3.1.4)のプロセス」(ISO18587:2017, 3.1.5)
ライトポストエディット:
「人による翻訳(3.4.3)によって得られる製品に匹敵する製品を制作しようとすることなしに、単に理解可能なテキストを得るためのポストエディット(3.1.4)のプロセス」(ISO18587:2017, 3.1.6)
ライトポストエディットについてもう少し説明すると、公開を目的としていない場合や大まかな文意を把握したい場合で、可能な限り機械翻訳(MT)の出力を利用した作業としています(ISO18587:2017, 付属書B)。
必要最小限の修正を加える作業と理解してもいいかもしれませんが、ライトポストエディットは規格の適用外という点は覚えておいてください。
ポストエディット(フルポストエディット)の要求事項
次にISO18587のポストエディット(フルポストエディット)の要求事項についてみていきます。ポストエディットでは作業対象となる訳文が機械翻訳(MT)の出力結果であることから、ポストエディタには機械翻訳に特徴的な現象について確実に修正することが求められます。
特にAIにとって翻訳が困難である場合(例えば、原文に意図せぬ誤植がある場合)、強引に翻訳して出力されたり、その個所が欠落した状態で出力されたりすることがあります。前者の場合では、本来原文にはない情報が追加されるでしょうし、後者の場合は大切な情報が削除されるということを意味します。
AI翻訳の出力結果が自然で流暢になればなるほど、こういったエラーを発見する難易度は上がる傾向にあります。ですので、ポストエディタには機械翻訳に付随する一般的なエラーを理解し(ISO18587:2017, 5.3 「専門家としての意識」 a))、適切に修正することが求められています(ISO18587:2017, 6, a), b), 4.3.3 b))。
さらに、機械翻訳の出力結果に間違いがあり、文章構成を大幅に変更しなければならない場合には、新しく翻訳することが求められます(ISO18587:2017, 6 c), 4.3.3 c))。このことから、ポストエディタに翻訳者と同等の力量を求めるのは妥当といえるでしょう(ISO18587:2017, 5.1)。
また、ポストエディタは納期・コストの面から修正すべきかどうかを判断する知識と能力、また与えられた特定の修正作業のみを遂行する能力が求められています(ISO18587:2017, 5.3 「専門家としての意識」 c), d))。一見すると、コストの意識や仕様に従った作業は、翻訳の場合も同じではないかと思われるかもしれません。しかし、あえてポストエディタに対して規定されていることを考えると、ポストエディタには翻訳者とは違うある種のビジネスセンスや柔軟性が求められるのかもしれません(参考:「通訳・翻訳ジャーナル」 Summer 2020、P41)。
まとめ
以上、ポストエディットについての国際規格ISO18587:2017について解説しました。一般的な翻訳サービスの規格であるISO17100との共通点と相違点から、ISO17100が前提とされていること、またポストエディット特有の注意点も確認しました。今後のさらなるAI翻訳の精度向上によって、ポストエディットの需要は高まるものと予想されます。
しかし残念ながら、ISO 18587:2017を認定する認証機関が日本国内にはまだ存在していません。ISO準拠に近い作業を前提とするのであれば、ISO17100適合の認定を受けている翻訳サービス提供者(LSP)で、かつISO 18587:2017について自己適合宣言をしていることが取引先を選定するうえでの一つのポイントといえるでしょう。
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