文章を読んでいて、その文章が翻訳文であることに気付くことはありませんか?
私は英日翻訳者として活動を始める以前から、読んでいるその文章が翻訳文だと気付くことがありました。なぜそう思うのかと聞かれても当時は「なんとなく」としか言えなかったのですが、読みながら翻訳文独特の雰囲気を感じることがあったのです。
辞書に「翻訳調」という言葉が掲載されていることからも、母国語以外の言語を勉強したことがある人ならば私と同じ経験をしている方は多いのではないでしょうか。
翻訳調:外国語の表現が、そのまま日本語に直訳されているような独特の表現。また、そのような文体の作品。(大辞林 第四版)
翻訳者になってからは自分で翻訳することはもちろん、別の翻訳者が書いた訳文にチェッカーとして触れるようになります。
英語とその訳文としての日本語に日常的に向き合っているうちに、日本語を読みながらも裏にある英語の文章構造や構文に気付くことが増えてきました。このことを「原文が透けて見える」という表現を使う翻訳者もいます。
英語には単数形や複数形だったり、無生物主語だったり仮定法だったり、日本語にはない発想や観念、表現体系がたくさんあります。
このことを踏まえた上で、それでもなお原文である英語に忠実に訳文をつくろうとすると、独特の雰囲気が訳文に持ち込まれることがあるのです。
私は翻訳者としてのキャリアを積むにつれて、それまで「なんとなく」としか認識できなかったこの翻訳文独特の雰囲気を、少しずつ理解できるようになりました。
たとえば冒頭の次の文章、
「文章を読んでいて、その文章が翻訳文であることに気付くことはありませんか?」
文中に主語を加え、代名詞を使います。
「あなたは文章を読んでいて、それが翻訳文であることに気付くことはありませんか?」
いかがでしょう?この翻訳文ではない一文に、少し翻訳を感じませんか(笑)
翻訳調の文体は良くない?
翻訳調の文体が日本語として間違いかというと、決してそんなことはありません。上記の「あなたは文章を読んでいて、それが翻訳文であることに気付くことはありませんか?」の文章に、文法上の問題はありません。
よって翻訳文体が良くないとは言い切れないのですが、翻訳調に起因して冗長さや不自然さが目立つ場合があります。
たとえば次のような文章が、ソフトウェアのマニュアルに書かれていたとします。
ここには任意の値を設定することができます。ただし設定した値ごとに、プログラムが正常に動作するか確認を行わなければなりません。
一般的にソフトウェアのマニュアルでは似たような言葉遣いが続くため、シンプルで読みやすい表現が求められます。もしこの文章が翻訳文であったとしたなら、改善の余地があるかもしれません。
「ここには任意の値を設定することができます」は、can set または be able to do をそのまま訳したのかもしれませんが、「設定できます」の方がシンプルです。実用文書では、同じ内容を伝えるのであれば少ない文字数で表現できた方がいいでしょう。
また「プログラムが正常に動作するか確認を行わなければなりません」は、原文は to perform verification that 等の表現だったのでしょうが、これは「確認しなければなりません」で十分です。
これらの修正を反映させると、
ここには任意の値を設定できます。ただし設定した値ごとに、プログラムが正常に動作するか確認しなければなりません。
シンプルな表現になり、取っつきやすい印象になったのではないでしょうか。
翻訳文体の特徴
翻訳調の文体は前述の通り文法上に問題はないため、無意識のうちに書いてしまいがちです。しかしこのように、時として冗長で不自然な表現になってしまうことがあります。
冗長さや不自然さは読者に負担をかけることになり、避けなければなりません。
特に読者の共感を得ることが目的である広告やマーケティング関連の文章は、いかにも翻訳らしさが出てしまうと読者との距離が生まれてしまい、本来の目的を達成するのが難しくなります。
つまり翻訳する文書によっては翻訳調の文体を避けた方が良い場合があるのですが、どうしたら避けることができるでしょうか?
それにはやはり、翻訳文体の特徴を抑えておくことが大事になるでしょう。翻訳者にとってだけではなく翻訳を発注する側にとっても、特徴を知っておくことは望む翻訳文を得る近道になります。
特徴1:主語が常に書かれている
あなたはあなたの文章に、主語を常に書く必要はありません。しかし、あなたもご存知の通り、ほとんどの英語の文章はそれを持ちます。そこで、あなたの文章でそれを常に意識することは、不自然さのない文章をつくるのに役立つでしょう。
・・・かなりの翻訳感ですね。ですがこの文章は翻訳文ではありません。私が翻訳調の文体で書いた日本語です。冒頭から「あなたはあなたの・・・」という重複感のある表現で始まりますが、人称代名詞の主語を常に訳すと日本語としては不自然になります。
特に漠然と人を表す総称人称である you、we、they あるいは one などは、訳文ではカットした方が上策です。削除してみると多少は自然な日本語として読めるのではないでしょうか。
あなたはあなたの文章に、主語を常に書く必要はありません。しかし、あなたもご存知の通り、ほとんどの英語の文章はそれを持ちます。そこで、あなたの文章でそれを常に意識することは、不自然さのない文章をつくるのに役立つでしょう。
特徴2:代名詞が多用されている
代名詞を多用すると、これも翻訳調につながります。日本語の根本的な性格によるものだと思いますが、代名詞を表に出さずに訳すか、あるいは元の名詞に戻した方が自然な日本語になります。
あなたの文章に、主語を常に書く必要はありません。しかし、ご存知の通り、ほとんどの英語の文章は主語を持ちます。そこで、あなたの文章で主語を常に意識することは、不自然さのない文章をつくるのに役立つでしょう。
どうでしょう?少しずつ日本語らしい文章になってきていませんか?
特徴3:無生物が主語になっている
日本語では人間または生物を主語とする場合でも、英語では無生物を主語とする構文を使うことがあります。私が書いた日本語例文では「主語を常に意識することは、」の部分に該当し、英語が透けて見えそうです。
無生物主語構文の場合は、無生物を副詞的に訳すとうまくいくことが多いです。
文章に主語を常に書く必要はありません。しかし、ご存知の通り、ほとんどの英語の文章は主語を持ちます。そこで、主語を常に意識することができれば、不自然さのない文章をつくるのに役立つでしょう。
合わせて主節「不自然さのない文章をつくるのに役立つでしょう。」も修正しておきましょう。「役立つでしょう。」の部分にはwillが透けて見えます。「will=・・・でしょう」と半自動的に訳してしまうことが多いように思いますが、「役立ちます。」でも意味は変わりません。
文章に主語を常に書く必要はありません。しかし、ご存知の通り、ほとんどの英語の文章は主語を持ちます。そこで、主語を常に意識することができれば、不自然さのない文章をつくるのに役立ちます。
さらに「ほとんどの英語の文章は主語を持ちます。」の「ほとんどの英語」にも不自然さを感じませんか?
most Englishを想定して「ほとんどの英語」という日本語を書きました。ただ日本語としては「英語の文章は主語を持つ場合がほとんどです。」のように、mostは述語として訳した方が自然であるように思います(many、much、few、little、some、any なども同様)。
文章に主語を常に書く必要はありません。しかし、ご存知の通り、英語の文章は主語を持つ場合がほとんどです。そこで、主語を常に意識することができれば、不自然さのない文章をつくるのに役立ちます。
いかがでしょう?翻訳感のない自然な文章ではないでしょうか。
特徴4:修飾語(節)により一文が長い
さきほどの例文はだいぶ自然な文章になったので、別の例文を作ってみました。
英語では普通、修飾される機会が多い目的語および補語が動詞の後ろに置かれ、そしてそれらは後ろに節を伴うことで修飾することができるため、あなたは文を必要ならばどこまでも続けることができ、実際に日本語よりそのような長い文が多く見られます。
長いですね(笑)
日本語では動詞を文の最後に置くことが多いため、理解しやすい文章を書こうとすると一文の長さをある程度制限することになります。
対して英語は関係詞や分詞、that、時にはカンマで挟まれた文章が単語を修飾し、説明を後から付け足していく性質を持ちます。そのため、英文の構造をそのまま訳してしまうと、例文のように日本語にしては長い一文になってしまいます。
日本語として自然な長さにするには、理由や目的、結果などを説明する修飾節を独立させて書きます。
英語では普通、修飾される機会が多い目的語および補語が動詞の後ろに置かれ、そしてそれらは後ろに節を伴うことで修飾することができます。そのためあなたは、文を必要ならばどこまでも続けることができます。実際に日本語よりそのような長い文が多く見られます。
ついでに特徴1(主語)と特徴2(代名詞)でみた修正も加えました。
ちなみに最後の文「実際に日本語よりそのような長い文が多く見られます。」は、文末が受身になっています。原文がseenとなっているのを想定して書いたのですが、英語の受動態と日本語の受身は同じものでなく、常に置き換えられるものではありません。
たとえば What is this called in English? を「これは英語で何と呼ばれますか?」と訳してあるのをよく見ますが、「これは英語で何と呼びますか?」でいいはずです。
そのためこの最後の文も、受身を使わずに(さらに特徴3でみた修正を加えて)「実際に日本語よりそのような長い文を見ることが多いです。」の方が、構造的にシンプルで読みやすいと思うのですが、どうでしょうか?
英語では普通、修飾される機会が多い目的語および補語が動詞の後ろに置かれ、そして後ろに節を伴うことで修飾することができます。そのため文を必要ならばどこまでも続けることができます。実際に日本語よりそのような長い文を見ることが多いです。
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この記事では翻訳調の文体についてみてきました。
繰り返しになりますが、翻訳調の文体がダメだと言いたいのではありません。「原文が透けて見えること」をネガティブに捉える人もいますが、私は透けて見えたっていいと思っています。
2018年に刊行された『聖書 新改訳2017』では1970年以来はじめての大改訂が行われていますが、その翻訳の特徴として挙げられている4つのうち1つが「原典に忠実─新改訳の特徴である “原文が透けて見える” 翻訳を継承しています。」となっています1)。
そしてその “原文が透けて見える” 翻訳を目指した理由として、次のように書かれています2)。
新改訳が目指しているトランスパレント(transparent)な訳は、日本語と文章の読みやすさを犠牲にすると考えられがちです。確かにそのような側面もないわけではありません。しかし、トランスパレントであるがゆえに、原文の意味が日本語文にも鮮明に浮き上がるようにすることが可能であると考えています。原文に忠実であり、かつ日本語として自然な文章が可能である、という立場に立って、日本語の面からの検討が進められています。
引用元:一般社団法人 新日本聖書刊行会
このように考えると、「原文が透けて見えること」が良くないのではなく「ターゲット言語になじまない原文の形式が訳文から透けて見えること」が良くないのであって、文章の読みやすさが犠牲になり日本語として不自然な文章になってしまうことが問題なのでしょう。
むしろ「原文が透けて見えること」が「原文の意味が日本語文にも鮮明に浮き上がる」ことを指すのであれば、それは目指すべき翻訳と言えるかもしれません。
なぜなら翻訳の目的は伝えることにあり、原文の意図を過不足なく読者に伝えられるよう、翻訳者は日々研鑽しているのですから。
執筆:田村嘉朗
大手通信会社ロンドン支社勤務を経て、2013年より翻訳者として活動
専門は通信、マーケティング
参考URL
1) いのちのことば社
https://www.wlpm.or.jp/bible/sk2017/
2) 一般社団法人 新日本聖書刊行会
https://www.seisho.or.jp/s2017/features/