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2020 Mar. 12

正しい日本語ってなんだろう? ~翻訳者、日本語の海で溺れかける~

 

私は英日翻訳者です。ほかの翻訳者が翻訳した訳文のチェックと校正を担当することもあります。

先日、納品前の最終チェックを担当したときのことです。クライアントからの要望は、フォーマルで堅い文章とのこと。訳文のチェックを進める中で、次の一文に出会いました。

「…は指導的な立場に立っていた。」

正しい日本語を意識していたためか、強い違和感を覚えました。その違和感は、文字にしたときの重複感から。「立場に立つ」という言い回しは、たとえば親が子どもに「相手の立場に立って考えなさい!(ガミガミ)」と言うように、耳でこそよく聞きますけれども、「立」が重言していることによる誤用ではないのか…。

早速「立場」について国語辞書で調べてみると、大辞林(第三版)には次のようにありました。

 

物の見方・考え方。見地。立脚点。「実存主義の-に立つ」

辞書以外にも、信頼に値するであろう政府刊行物が、そのタイトル『~生活者の立場に立つ信頼される厚生労働省~』に採用していることを確認できました。

それと同時に、この言い回しを「修正すべきもの」とする意見もインターネット上には存在することが分かりました。たとえばビジネス文書の書き方についての著作が多い神垣あゆみ氏は、その立場をとっています。

つまり、「立場に立つ」は間違えではないけれど、おかしいと感じる人もいる。こういう場合は、無難な言い回しに修正するのが一番だと、経験から知っています。

「…は指導的な立場に立っていた。」 → 「…は指導的な立場にあった。」

これにて一件落着…となる予定だったのですが。

これをキッカケに、日本語、特にその重言に対する私のアンテナが受信範囲を広げたようで、それから数日間、違和感を覚える日本語に数多く出会うことになります。日本語を読む中で、引っかかる回数が多くなり読むスピードが遅くなり、そして何が正しく何が正しくないのかあいまいになり、日本語の海で溺れかけることになったのです。

以下に、溺れかけていた私のアンテナがキャッチした、気になった重言をいくつか紹介します。

 

重言って?

あらためて確認しておくと、重言(じゅうげん、じゅうごん)とは同じ意味の語を重ねた言葉です。代表例として、「頭痛が痛い」、「挙式を挙げる」、「過半数を超える」、「炎天下の下」などがあります。

これらの例は誤用として取り上げられることが多いのですが、かならずしも重言=誤用ではありません。先ほどの「立場に立つ」のほかに、たとえば「違和感を感じる」という言い回し。「違和感」を明鏡国語辞典(第二版)で調べると、次のように出てきます。

 

周りのものと調和がとれていないという感じ。しっくりしない感じ。ちぐはぐな感じ。
「-を覚える[感じる]」

もちろん、「違和感を感じる」に、それこそ違和感を覚える人はたくさんいるでしょう(だからこそ本記事中では「覚える」を使っています)。しかしながら、辞書に掲載されているということは、定着したものとして一定の信頼を置いてもいいのかもしれません。

では、次の言い回しはどうでしょうか?

・ 事前準備、事前予約
→ 準備はそもそも事前にするものですし、予約も事前に(予め)するものですので重言です。ただし、広辞苑(第六版)に掲載がありますし、日常的に使っている人が多いのではないでしょうか。

・ 衝撃的なインパクト
→ 「衝撃的」は「インパクトのある」ということですので、これも重言。ただ、コンビニの新製品などにこの記載があったら違和感なく読み飛ばしてしまいそうです。

・ PDF形式、JIS規格
→ PDFは Portable Document Format、JISは Japanese Industrial Standardsの略ですので、それぞれ「形式」と「規格」は不要です。

そのほかにも…

・ まず第一に
→ 「まず」と「第一」が意味として重複。

・ 安打を打つ
→ 「安打を放つ」にすべき。「ヒットを打つ」も同様。

・ 博打を打つ
→ 「安打を打つ」は国語辞典に掲載がありませんが、「博打を打つ」は掲載があります(広辞苑 第六版)。

・ お体ご自愛ください
→ 「自愛」は「自らその身を大切にすること」なので重複。「お体」は不要。

・ 次第にしつつある
→ 「次第」と「(し)つつ」が重複。

・ 余分な贅肉
→ 「贅肉」は必要以上についている肉のことですので、「余分な」は不要です。そして、私の贅肉も(涙)

いかがでしょう。誤用かどうかを意識せずに使っているものはないでしょうか。少なくとも私はありました(焦)。他にもまだまだありますが、キリがないのでこの辺りでやめておきます。


正しい日本語ってなんだろう?

翻訳者として、サービスとして提供する日本語は正しいものを使うべきだと思っていました。しかしながら、こうして重言について調べる中で思ったことは、そもそも「正しい日本語とはなにか?」が、私には分かっていないということ。

先に挙げた「立場に立つ」や「違和感を感じる」をはじめとする「○○感を感じる」といった言い回しは、上述のとおり、その用法が辞書に掲載されています。それでもなお、これらが誤用であると考えている人は一定数います。そうした考えに対し、どう接すればいいのでしょうか。

国立国語研究所が編集し刊行した『言葉の「正しさ」とは何か(新「ことば」シリーズ)』に、次の文章があります。

 

ことばにおいて「正しい」とはどういうことか。また逆に「正しくない」とはどういうことなのか。(中略)あることば遣いが正しいかどうかの判断は、人によっても、文脈によっても異なり得る、ということです。「正しさの基準」というものがいつもひとつに決まるわけでない(後略)

私は翻訳者であり校正者であり、日本語学者ではないので、ある日本語表現に対し「誤用だ」「正用だ」と断言できる立場にいません。そして、この引用文にあるとおり、「正しさ」が人によって、文脈によって異なり得るなら、つまるところ「正しい日本語とはなにか?」に対する唯一の正解がないのであれば、私の立場で正解を追求することに、それほど意味があるとは思えません。

ただ、翻訳者としては、誤用と判断されかねない表現は、なるべく別の表現に変えたほうがいい。なぜなら、翻訳の目的は、原文のメッセージを読み手に過不足なく「伝える」ことだからです。

読み手が「アレ?」と気になる表現を使い続ければ、そちらに気を取られ、伝えたいことが伝わらなくなる可能性があります。スムーズに読んでもらうためには、問題になるような表現をわざわざ使うべきではない。

読み手に「伝える」という目的のためには、「正しい日本語はなにか?」について考えるより、読み手に「伝わる日本語はなにか?」を考えた方が効果的だということです。たとえば、想定読者がITに疎いならば、「PDF形式」という表現を使ったっていいのです。たとえ辞書に掲載されていなくても。

国語辞書は、正しい日本語を公認する立場にはありません。あくまで、その言葉が確かに存在し、現実に使われているのだと教えてくれるだけです。つまり、その国語辞書の出版社が、定着したものと認めた言葉を確認するためのものです。

もちろん辞書は確認すべきものです。定着しているという判断に一定の信頼は置けますし、人が文章を書いたり、何かを語ったりする際のひとつの規準に向いています。ただし、その性質から、「辞書に書いてあるから正しい」というのはおかしい。その逆もしかりです。

 

 

正しい日本語から、伝わる日本語へ

結局のところ、翻訳者として追及すべきことは「伝わる日本語はなにか?」ということ。

翻訳には、書き手が原文を通して伝えたい想いや情報があって、そしてそれらの届け先である相手がいるものです。そして翻訳者の仕事は、書き手が原文を通して伝えたいことを漏れなく把握し、読み手に過不足なく伝えること。その書き手と読み手によって、「伝わる日本語」は変わってきます。ここにも唯一の正解はない。

つまり「伝わる日本語」は、「正しい日本語」と同じように、人によって、文脈によって異なり得る。むしろ、異なることがほとんどと言っていいのかもしれません。

そして、「伝わる日本語」に近づくためのヒントは、文章を通して書き手と向かい合い、読み手をその反応を含めて具体的に思い浮かべることにあります。私たち翻訳者は、そのためにスキルを磨き実践を重ねていく。

ゴチャゴチャと考えましたが、日本語の海で溺れかけたことで、自分のいる場所を再確認することができました。そして、ようやく日本語の海から浮かび上がってきました。

あれ?「海から浮かび上がる」って、なんか違和感を覚えませんか?「海から」の「から」という助詞は、この場合<起点>を意味するので、「海から浮かび上がる」は宙に浮いていることになります。この場合、「正しく」は「日本語の海から顔を出す」といった表現がいいかもしれません。

…このようにして、日本語の海を航海する旅は続くのです。

 

 

執筆:田村嘉朗
大手通信会社ロンドン支社勤務を経て、2013年より翻訳者として活動
専門は通信、マーケティング

参考URL

全国官報販売協同組合:政府刊行物のバックナンバー
https://www.gov-book.or.jp/book/detail.php?product_id=186972

神垣あゆみ氏のブログ
http://www.kamigaki.jp/blog/2008/09/01/vol-885/

国立国語研究所:言葉の「正しさ」とは何か (新「ことば」シリーズ)
https://www.ninjal.ac.jp/publication/catalogue/shin_kotoba_series/11_19/17/

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