代表挨拶
あたらしい企業価値を追求するために
WIPジャパンの代表からのメッセージをお伝えします
あたらしい企業価値を追求するために
WIPジャパンの代表からのメッセージをお伝えします
今後、ますます世界の一体化が加速し、人々の間の時間的・心理的な距離が縮まり、あらゆる障壁が取り払われていくでしょう。一方で、かつては一生出会うことのなかった異文化同士が接触が増えるため、「異なる」ものの衝突も今後ますます増加していきます。
したがって「世界の相互理解をいかに進めるべきか」は、いまや人類にとって喫緊の課題であり、私たちにとっても最大の事業命題です。
世界の人々が理解を深めること —— それは、自分と「異なる」ものに対する理解を深めることであり、言葉の壁を超え、心の領域を拡げていくことに他なりません。
世界の人々は、より理解しあわなければなりません。他者や他国に無関心であってはなりません。他者を理解しようとする努力も、自分を理解してもらうための努力も、決して放棄してはならないのです。
「異なる」ものを恐れたり排除したりする心ではなく、「共通する」ものを捉える心を持つ。—— そうした寛容な世界を創らなければなりません。
この道のりは決して平坦ではありません。だからこそ私たちは、言葉・情報・知識の壁を取り払い、多様性を尊重し、異文化理解を進めていきます。それこそが、いま世界が直面しているさまざまな問題を解決する道だと信じています。
より理解しあえる世界を実現するために、微力ながら少しでもお役に立つことが出来れば、これに優る喜びはありません。
どうか、世界の国と人々がそれぞれ個性を発揮し、互いに独自の英知と貢献を提供しあえる世界になりますように。そして、さまざまな国や地域の人々が、質・量共にコミュニケーションを深め、さらに理解しあえる世界となりますように。
桜が散る春になると、あの夜のひざの冷たさを思い出します。
預金流出を止められず、土下座までしても届かなかった言葉 —— 無力さの痛みが、私を海外へと押し出してくれました。
ケンブリッジの図書館、夜間の警備現場、焼き芋の湯気。小さな挑戦の積み重ねが、WIPの原点になりました。
【バブルの終わり、膝をついた夜】
銀行での配属先は大阪・難波。バブルの真っただ中、私は「経営者に喜ばれる仕事を。国際の最前線へ」と胸を躍らせていました。
しかしバブルは静かに消え、融資先からは「無駄な借入だった」と怒声、行方の知れない社長、金利自由化で預金は他行へ。ある顧客が預金を移すと知り、夜討ち朝駆けで何度も通いましたが、言葉は届きません。
最後は、膝をつきました。土下座です。
「力不足の私ではメリットを示せない」—— 現実が冷たく膝に触れた瞬間、夢は挫折に変わりました。預金は満期のたびに流出し、数字は容赦なく減っていきました。
【退職、そして決意の留学へ】
「私の仕事は、本当にお客様を喜ばせているのか」。この問いが胸に居座り、やがて退職を選びました。転職が一般的でなかった時代、家族の反対は激しく、それでも初志 —— 世界で通用する力 —— を貫くと決めました。
英語はギリギリ、しかも無職のまま結婚。妻を日本に残しての留学は胸が裂ける思いでした。自分の夢と家族を支える責任、その板挟みの痛みが、勉強机に私を縛り付けました。
【ケンブリッジでの奮闘】
ケンブリッジは約30の学寮から成る大学の街で、私はペンブローク学寮(Pembroke College)に入学しました。大食堂にドラムが鳴り、黒いガウンの列が静止し、ラテン語のお祈りの最後に「アーメン」で着席 —— まるで映画のワンシーン。
とはいえ現実は甘くありません。課題図書は山、論文締切は容赦なく、パーティーの誘いも断り続けました。
「もっと速く読めたら」。歯噛みする夜。
私は大学の日本語講師の臨時職を得て、現地学生と言語交換。外部の語学学校に通い、家庭教師も頼み、論文の校正に明け暮れました。そうして臨んだ口頭試問に合格 —— 学位を手にした瞬間、胸の奥で「次は社会へ返そう」と小さく火が灯りました。
【帰国前の種まきと、起業の一歩】
現地で出会った友人たちと、ロンドンの介護施設、アムステルダムの人気店、スウェーデンの介護・サウナ・地熱発電所まで視察。障がい者向け家具や船舶ニュース配信など、起業モデルを貪欲に吸い込みました。
帰国 —— でも資金は乏しい。中古のマック一台、古いマンションの一室、テーブル兼こたつと座椅子。手元の50万円を握りしめながら、日中は準備、夕方からは電車に揺られて夜間の道路警備へ。朝方に戻って仮眠、また資料作り。
売上の足しにと、起業仲間は石焼き芋の販売も。寒空の下、湯気の向こうに見えたのは、笑って買ってくれる人の顔でした。
「価値は、目の前の誰かの役に立った瞬間に生まれる」—— そう思いました。
【最初の仕事、そして気づき】
最初の大きな依頼は、大阪市の五輪招致に関する海外情報の収集でした。難易度は高い、価格設計も分からない。それでも「やらせてください」と言い、走りながら考えました。
優秀な協力者・協力会社を探し、教えを請い、力を束ねる。結果、プロジェクトはゴールへ。
この時に掴んだ答えは明快でした。
「自分一人に能力がなくても、能力のある人と組めば、できない仕事はない。」
以後、翻訳者・通訳者・リサーチャー・有識者のネットワークを世界に広げ、WIP —— World Intelligence Partners(世界の知を束ねる仲間)という名に、私たちの存在理由を刻みました。
【人生とはチャレンジ】
起業とは「恐怖クラブ」に入会するようなもの。売上が落ちることがあると、ずっと続くのではないか、そんな恐怖心が沸くのです。決して大げさではありません。
けれど「火事場」でこそ、人は自分の「馬鹿力」に出会う。困難を越えるたび、次の困難を越える筋力がつく。
要るのは、場数です。私はそう信じていますし、だからこそ、誰かがチャレンジする背中を押したいのです。
【日本語市場が縮む時代に、世界へ】
日本の人口は長期的に減少し、日本語市場は確実に小さくなっていきます。
—— でも、あなたの商品・サービスを待っている人は、日本の外にたくさんいる。
言葉の壁は、もう「壁」ではありません。翻訳エンジンやAI、適切な手順、そして信頼できるパートナーがあれば、海外販売・調達・提携は「日本語のまま」始められる時代です。
【おわりに —— あなたの一歩を、私たちが伴走します】
私たちは、1995年以来、外国語や海外情報で困っている1万2千社以上の企業を手助けしてきました。中には、全く英語ができない状態からの海外展開を支えた事例もあります。
かつて、私は膝をつきました。あの悔しさが、今の私の使命を育てました。
次は、あなたの番です。
もしよろしければ、あなたの事業や業務をサポートする仲間になります。私たちには、そのためのスタッフとサービスがあり、自信をもってお手伝いします。
ブルキナファソ、ジンバブエ、ドミニカ、インド、ケニア、 マラウィ、マリ、エチオピア、ネパール、バングラデシュ、セネガル、パキスタン、ペルー、エクアドル、フィリピン、シエラレオネ
※第一次世界大戦時の実話に基づく童話「友情のシンフォニー」を 10ヵ国語に翻訳、インターネットで世界中の子供達に発信しました(1995年12月 UNICEF本部より当プロジェクトに対し感謝書状拝受)
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