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WIPグループ代表 兼
WIPジャパン代表取締役会長

上 田 輝 彦

UEDA Teruhiko
英国ケンブリッジ大学大学院: 
Diploma修士(1994)

・威鵬(大連)翻訳咨詢有限公司(WIP China) 董事:Director


● 福井青年会議所にて講演を行いました(福井商工会議所・2018年11月15日 (木))
● 新潟経営大学にて講義を行いました(塗茂先生「起業論」2018年11月5日 (月))
● 報道ライブ番組・ニュース「オプエド」にゲストとして出演しました(2018年10月19日(金)放送)
● Language Business Japan 2017にて講演を行いました(「訪日外国人集客対応&越境ECどう立ち上げるべきか」2017年12月13日(水))
● 新潟経営大学にて講義を行いました(塗茂先生「起業論」2017年10月16日 (月))

●「多言語インバウンドビジネスによる収益化公開セミナー」にて講師を務めました(WIP本社・2017年5月24日(水)、6月14日(水))
● SMBCコンサルティング主催「訪日インバウンド対策セミナー戦略立案編」にて講師を務めました(同社・2016年11月29日(火))
● SMBCコンサルティング主催「訪日インバウンド対策セミナー業界別対応・受入体制構築編」にて講師を務めました(同社・2016年11月29日(火))
●「訪日インバウンド対策まるわかりセミナー」にて講師を務めました(福井・クラフトブリッジ・2016年11月27日(日))
● 新潟経営大学にて講義を行いました(塗茂先生「起業論」2016年10月31日 (月))
● 宣伝会議主催「翻訳ディレクション基礎講座」にて講師を務めました(宣伝会議本社・2016年4月19日(火))
● 「インドを理解する」ビジネス講座にて講師を務めました(日本橋三越本店・2015年11月30日(月))
● 東京FM「0から1を生む力」ゲストとして出演しました(2015年11月15日(日)放送)
● 白川博司通販実践会主催「日本にいながら、中国・アセアンに売る(越境EC)方法」にて講師を務めました(WIP本社・2015年10月26日(月))
● 日本経営合理化協会主催「日本に居ながら海外に売る方法」にて講師を務めました(目黒雅叙園・2015年9月15日(火))
● 福井新聞主催「考福塾」にて講義を行いました(風の森ホール・2014年12月17日(水))
● 書籍出版『「アウェイ」で攻める! 中国市場向け通信販売のノウハウ』監修(2013年10~12月)
● 電子出版『キャロライン・ケネディの決意』『JFケネディ大統領就任演説』『イエレンFRB副議長公聴会スピーチ全文』『超訳・毛沢東語録』『クリスマス・キャロル』『フランダースの犬』監修(2013年10~12月)
● 広島国税局間税会総連合会にて講演を行いました(2012年5月17日(木))
● 明新会(藤島高校卒業生)総会にて講演を行いました(フェニックスプラザ・2011年5月28日(土))
● 福井県立藤島高校にて講師を務めました (2011年5月27日(金))
● 岩手県立大学にて講義を行いました (西出先生「公共政策論」2010年12月8日(水))
● 神奈川県立横須賀高校にて講師を務めました (2010年3月18日(木))
● 慶応大学にて講義を行いました (飯盛先生「新事業創造ワークショップ」2008年5月26日(月))
● 明治大学にて講義を行いました (阪井先生「情報組織論」2008年5月19日(月))
● 慶応大学にて講義を行いました (飯盛先生「新事業創造ワークショップ」2007年5月21日(月))
● 福井テレビの「スーパーニュース」に登場しました(2006年8月10日(木))
● ポータルサイト・freshEYEの「鮮眼流仕事道」に登場しました(2006年1月)
● 東京福井県人会報(2005年刊)に「景岳橋本左内先生墓参報告」を寄稿しました
● 日経ベンチャー(2005年9月号)「社長お悩み相談記」に登場しました
● 曹洞禅グラフ(2005年秋号)「禅に惹かれた人々」に登場しました
● 慶応大学にて講義を行いました (飯盛先生「ベンチャー経営論」2005年6月20日(月))
● 日経ベンチャー(2005年1月号~4月号)「社長お悩み相談記」に連載登場しました

過去~現在

福井・兼業農家出身。中・高では卓球選手。数学・世界史・世界地理を愛好。上智大学(法学部)在学中、欧州各国や中国等を跋渉、その後、住友銀行(大阪)、英国ケンブリッジ大学大学院留学(歴史学部)を経てWIP創業。オリンピック関連調査を端緒として、多言語および海外市場を対象にした事業のみに特化し現在に至る。「グローバルビジネスほど面白いものはない」が信条。

・一般社団法人クールジャパン協議会 専務理事
・一般社団法人グローバルビジネスコンサルタント協会 理事

ライフワーク

「日本人として世界に何を遺すか」が人生のテーマ。

 

趣味: ゴルフ、テニス、卓球、禅
座右の銘: 「人生二度なし」
影響を受けた書と人: 内村鑑三「後世への最大遺物」、橋本左内、田中正造、ガンジー

ブログ

語録・スピーチ

社内語録となっておりますのでその点何卒お含み置きくださいませ。

(順次更新)

日本について

西洋と東洋つまり世界の融合の牽引役になることこそ日本人の使命ではないかと思う。また、西洋と東洋の融合の牽引役という使命を果たすのに最適かつ絶好のポジションにいるのは、他でもない日本ではないかと思う。

言語について

世界に現存する6,000~10,000の言語のうち、今世紀中に90%が消滅するのではないかといわれている。日本国内でさえ方言が失われつつある今日、便利になる反面、多様性と面白味が減っている。WIPで何ができるのか考えたい。

幼い頃の思い出で、今の仕事に影響を与えていること

私が物心ついた頃から、母親と父親は海外を紹介するテレビ番組が好きでした。特に母親は地図帳を片手にテレビを見るのが好きで、世界地図をよく眺めていました。その影響からか、私もいつの間にか世界地図を見るのが好きになり、海外の国々の首都を手当たり次第に覚え、大学受験科目に地理B(都市別世界地理)を選びました。

小学生の頃、自宅近くの養護施設(兼孤児院)に父が就職し、私は毎日父にお弁当を届ける役となりました。その施設には私の小学生の友達がいました。親に会えるのは月に1度といった友達を見るにつけ、私は恵まれているなと思ったものです。また、農家だったこともあり、祖父母からは食事を残さないように厳しく言われました。お茶碗にご飯粒が一粒でも残っていると叱られました。今でも食べ物を残すことに強烈な罪悪感を持ちます。

現在の仕事、世界への興味、そして世界の飢餓や教育に関心を持つようになったのも、こうした幼い頃の体験と環境が確実に影響を与えている気がします。

歓迎、多様な世界!

最近、世の中は「二極分化」してきたと説明されることが増えてきましたが、ますます「多様化」していると言った方が正確な気がします。皆が同じ行動をしなくなっている。つまり、少品種大量生産が受け入れられる時代ではなく、多品種少量生産時代へ本格的に向かっています。多品種少量生産は大企業にとって苦手とするところ。私達のような中小企業にとってすばらしい時代に突入していると言っていいのではないでしょうか!こうしたトレンドを諸手を挙げて歓迎したいと思います。

2千万円あったら誰かにあげますか?

もしあなたが2千万円自由に使えることになったら何に使いますか? 家?旅行?車?食事? 2千万円そっくり誰かにあげてしまうという人、います?

誰もいないですよね・・・ と思いきや、実は、あなたの身近にいます。誰でしょう?

それは・・・ あなたの両親です。普通、子ども1人を一人前に育て上げるまでにかかる金額はおおよそ2千万円。あなたの両親は、今まであなたに2千万円を投資してくれました。本日降った東京の雪を見て、故郷や両親のことを思い出しました。そして、殊勝にも(苦笑)両親に手を合わせたくなりました。親父、御袋、ありがとー! 感謝してます 拝

「これは急ぎの御用だからゆっくりやってくれ」

私が尊敬する橋本左内先生を称賛してやまなかった、幕末の外国奉行・川路左衛門尉聖謨(かわじさえもんのじょうとしあきら)が部下に言った言葉。急がば回れと同じだが、多忙なときほど目の前のことに集中して、一つ一つじっくり片をつけていきたいと思う。

2008年の干支について

「亥」年生まれのWIPが干支を一周し、今年で創業から13年目「子」を迎えました。「子」は干支の最初、スタートともいえるポジション。「戊」の字は「茂」にも表わされるように、植物が隆々と生い茂るさまを示す漢字となっています。つまり「戊子」はスタートと繁栄を意味します。ちなみに、前回の「戊子」は1948年(昭和23年)。日本が戦後まさに立ち上がっていく時期です。戦後の日本同様、本年がWIPにとっていよいよ大きな成長と繁栄を迎えんとするスタートの年になったらすばらしいですね。楽しく頑張りましょう!

カマキリは予言者だった!

カマキリを英語でいうと「mantis」。語源はギリシャ語の「予言者」だ。何を予言するかというと、これが面白い!カマキリは、色んな木の枝に卵を産み付けるのだが、実は、その卵鞘(多数の卵の固まり)の位置(高さ)でこの冬の積雪量がわかるという。長岡市に住む酒井さんという方が、この言い伝えを実証しようと新潟県全域数百箇所でサンプリングを行い、吹き溜まりになる地形では卵鞘の位置が高く、吹きさらしで積雪が比較的少ない地形では卵鞘の位置が低いこと、豪雪地帯のカマキリを雪の少ない地域に移して産卵させると移動先の積雪に近い位置で産卵することを実証した。(参考: 2007.12.16 朝日新聞「life & science」記)

学会でも異論があるそうだが、カマキリはどのように冬の積雪量を予想するんだろう・・・雪国生まれの私は興味津々。人間も大昔は予知能力がきっとあったはず。その野性を取り戻し、その能力をビジネスにも活かしたい、WIPの皆さんにも予知能力をフル動員してほしい、と考えてしまったのは私が強欲なせいだろう。

日本は大嫌いだが、手本にしなければならない」

今週末(2007年11月)、北京五輪をかけて野球で激突する韓国。その韓国の世論調査が面白い。「好きな国・嫌いな国」で日本が「嫌いな国」のトップ。同時に「お手本にすべき国」でもトップらしい(2007.9.22 中央日報)。どうやらこの複雑な気持ちはこの30年、あまり変化がないとのこと。野球で負けたら少しは「好き」になってくれるかもしれないが、「お手本」にはならなくなる・・・野球で勝ったらますます「嫌い」になるだろうが、「お手本」にはなれる。この二律背反を解決してくれそうなソリューションとして、最近の韓国で日本旅行ブームが起きているというニュースに注目したい。

なぜ今ベトナムか?

先週大場由幸さんによるベトナム講義を受けた。ベトナム人のモノ作りの器用さ、真面目さ、ハングリーさは昔の日本人そっくりらしい。特に女性が優秀で働き者。今、第二次ベトナム投資ブームが到来し、2006年は過去最高の外国直接投資額を記録した。また、ベトナム中高教育での外国語選択科目に日本語が正式に加えられ、親日感情も良い。最近、ベトナムをテーマにビジネスセミナーを行うと大手中小の経営者で満席御礼とのこと。世界遺産ホイアンの日本人街が400年ぶりに再びベトナムに登場するかもしれない(笑)

英語修得に3,000時間

アメリカ国務省では、職務上修得する外国語を難易度で区分。日本語は最難解グループに含まれ、約2,400~2,760時間の集中特訓が必要だという。逆にいうと、米国人にとって日本が難解であるのと同様、日本人にとっての英語修得も同様の時間量の特訓、つまり、約3,000時間弱の特訓が必要ということになる。そもそも、日本の学校教育で受ける総授業時間数は約800時間。自宅学習を含めても1000~1200時間程度だろう。さらにオーラルの特訓となると相当少なくなるのではないか。

「中学・高校・大学と英語を勉強してなぜ日本人は話せるようにならないのか」という通説には、英語修得に費やす絶対時間がそもそも大幅に少ないという認識が欠けている。

語学はただひたすら音読が王道

ただひたすら音読すること、すなわち「只管音読」こそ語学習得の最短ルートだという人はプロに多い。同時通訳者の国広正雄氏、英語教育コンサルタントの千田潤一氏などだ。語学の天才シュリーマンも毎夜大きな声で朗読して隣人を困らせたらしい。表意文字と表音文字を持つ日本語と違い、英語その他西欧言語は表音文字のみ。つまり、日本語でいえば、ひらがなとカタカナ。表意文字を持つ日本人は視覚に頼るが、音のみに専心しスポーツのように音読練習する。これこそ語学(特にオーラル)の王道だろう。毎夜音読する日本人が増えんことを祈る。私も含めて(苦笑)

ロシアが急上昇中!

今年(2007年)はロシア政府が定める「露語年」って知ってました? ロシア国内でパスポートの呈示を求められる際(両替時なども含む)、名前をロシア語(キリル文字)で記した翻訳証明(公証人による証明)をつけなければならなくなったらしい。どうやらロシアに来たら英語ではなく「露語を使え」ということ。最近、モスクワのビジネスホテルが1泊5万円と聞いてびっくりしましたが、ロシアのプライドも物価も急上昇中のようです。

波瀾万丈人生伝:カペッキ教授

今年(2007年)のノーベル医学・生理学賞に輝いたイタリア系米国人、マリオ・カペッキ教授(米ユタ大)。彼は1937年(昭和12年)北イタリア生まれ。父親が戦争に招集され、母親は反ファシストの運動家であったため、5歳の時に1年間の養育費付きで農家に預けられました。その後、父親は戦死、母親はドイツの収容所に送られ、彼は農家から追い出され孤児となりました。他の浮浪児と共に泥棒をしながら飢えをしのいだそうです。戦争が終わり、行き倒れていた8歳の彼は病院に送られ、解放された母親と再会。米国で物理を教えていた叔父を頼りに難民船で渡米、読み書きから教育を始めたとのこと。いかに厳しい時期を送っても努力次第でどうにでもなる、と改めて感じさせてくれる高尚な人生です。

体の主人公は、脳でなく内臓なんです!?

私たちの先祖は一つの原始的細胞でした。それは消化器官のみを持つ生き物で、栄養を吸収し排出するだけです。進化の過程で腸の細胞が分化していき、腸の欲求を満たすために、脳や神経が生まれました。つまり、何か食物を捕るために、動く細胞(筋肉など)が必要で、その筋肉を動かすために命令を下す神経のかたまりが脳になりました。「私たちの命の根源は脳ではなく、腸にある。私たちの体の主人公は、脳でなく内臓なんです!」という医師・?谷さん(「グズな大脳思考 デキる内臓思考」)の主張は目からウロコです。特に大脳ばかりを働かせすぎると心と身体のバランスが崩れてしまいます。これからは「ハラ」ですよ、ハラを中心に据え、鍛えましょう!(笑)

あなた、キャラ、かぶってませんか?

キャラ(=キャラクター)がかぶることにとても敏感で神経質なのは芸能人です。有力な新人とキャラがかぶると仕事が来なくなることさえあるからです。会社自体も、職場における個人も、基本的に同じだと思います。社会の中で「これなら●●●だな」という会社キャラを作りたいと思っていますし、職場でのあなたも「これなら社内No.1」(知識でもスキルでもビジネススタイルでもOK)という個人キャラを立てることができればすばらしいですね。

タンタンが訴えられた!

ベルギーの漫画「タンタンの冒険」をご存知でしょうか?( http://tintin.com/ ) 私がはじめてタンタンに出会ったのは1989年。英国Tunbridge Wellsのスミス氏宅にホームステイしたとき、さりげなく枕元に置いてあったのが、このタンタンの冒険シリーズでした。世界中の読者に愛されている主人公のタンタンは、ベルギー・ブリュッセルに住む少年記者。くるっとカール風の髪の毛が特徴で、愛犬スノーウィを引き連れて、アフリカやアジアを大冒険するストーリー。いろいろな事件に首を突っ込むため、警察に容疑をかけられたり、悪人に殺されかけたりするなど波乱が絶えません。

実は、そのタンタンが訴えられています。特に、1930年ごろに発表された「タンタンのコンゴ探検」が、植民地主義的、人種差別的、野生動物虐待、と各国でボイコットや抗議運動に発展しているそうです・・・

確かに、当時の植民地に対する偏見や現地住民に対する人種観が色濃く反映されているのは事実で、南アフリカではアフリカーンス語での出版停止。スウェーデンや本家ベルギーでも販売差し止め訴訟が起こされているとのこと。スピルバーグ監督が「タンタン」の映画化を予定していたらしく、これにも影響しそうな勢いです。

世界にも日本にも差別問題は残っています。黒人差別、民族差別(ユダヤ・ロマ)、アパルトヘイト、カースト、同和問題など、世界も日本もこれからもずっと学び続けることでしょう。もちろん、私の中にも偏見や差別観は厳然とあります。ただ、差別=「本人の努力によってどうすることもできないことで不利益な扱いをすること/受けること」と考えると、差別はしないよう、されないよう、努めて心がけるしかありません。偏見に満ちた漫画であることを十分承知しつつ、児童書ではなく、注意書きを添えた大人向け配架で、また読む機会があることを期待しています。

そもそも会社とは何か?

むかしむかし、ある村にお父さんと男の子が住んでいました。お母さんは男の子が生まれたときに難産で亡くなってしまいました。ある日その子が腹痛になりました。あまりに苦しむのでお父さんは山奥に薬草を採りに出かけました。やっとのことで薬草が見つかり、家に帰って煎じて飲ませると、子供の腹痛はあっという間に治りました。

この話を聴いた近所の人が「うちの病気の母にも薬を分けてください」と頼みに来ました。お父さんは薬をあげました。すると効果てきめんでした。この評判はあっという間に拡がりました。噂を聞きつけた隣の村からも、そのまた隣の村からも、薬を求める人がやってくるようになりました。お父さんはだんだんと忙しくなりました。でも困っている人を助けたいと思い、それまでやっていた畑仕事をやめて薬をつくることに専念することにしました。そして、息子もいるので、薬と引き換えにお代金をいただくことにしました。 [事業スタート]

お客さんがドンドン増えていきました。今度は薬草が足りなくなり、おまけに冬は薬草が採れないので、お父さんは草のエキスを抽出して丸薬をつくることに成功しました。そうすると、いつでも丸薬があるということで、さらにお客さんが増えました。もう、お父さんは一人で手に負えなくなりました。そこで丸薬づくりを手伝ってくれる人と、薬を届けて代金をもらう人を雇うことにしました。 [開発部と営業部の誕生]

配達サービスが話題になり、周囲の町からも注文が殺到するようになりました。人手はさらに足りなくなり、今度は薬草を採りに行ってくれる人、お金を管理してくれる人を雇うことにしました。 [仕入れ部と経理部の誕生]

こうして出来上がったものは「会社」でした。(以上、五十棲剛史さんの「なぜ、あなたは働くのですか?」の一節を参考にさせていただきました。)

会社を複雑にとらえてはいけません。いろんな役割分担はできるものの、結局、会社は「人助け」のためにあります。WIPの場合は、海外との取引をもっとスムーズに行いたいと思っている人、海外進出の夢を持っている人、海外に関する情報をもっと知りたい人、外国語で困っている人、こんな人たちを助けるために存在します。日本はもちろん、こうした世界中のたくさんの人たちを助けることができればすばらしいですね。

あなたはすでに1カ月ごとに入れ替わっている

「今のあなたは1カ月前のあなたではない。あなたはすでに入れ替わっている。」 北斗の拳のセリフに似せました(笑)が、実は体を構成する60兆の細胞群は日々入れ替わっています。

例えば、脳。入れ替わりの早い成分は1カ月で約40%、遅い成分でも1年経てばそっくり入れ替わるそうです。
例えば、肝臓。入れ替わりの早い成分は1カ月で96%、遅い成分でも1年で入れ替わり。
他、皮膚は1カ月、血液は3~4カ月、骨は約2年でそっくり入れ替わります。

「骨休め」とはうまくいったもので、体の中で一番長くお付き合いしてくれているのが骨。「骨休め」とは、その骨に休んでいただこうという主旨かも・・・と(語源は知らないが)夏休み中、得心してました。また、2年前に私の体にあったものは一つ残らず私の体に残っていない。そう考えると、一体「私」とは何だろう・・・ 少なくとも、この醜い肉体は私ではない、と哲学的に得心しました(笑)。いずれにせよ、常に入れ替わっているのがこの体であり、知識やハートについても、変化し続け、1カ月前の自分と違う自分に常になっていたいと、夏休みにふと思ったのでした。

インド式計算をやってみよう

ゼロを発明したインドは伝統的に数学に強い。インドの小学校ではかけ算の九九を19×19まで習うと聞いて、最近娘にやろうと思い「インド式計算ドリル」なるものを購入したが、これがなかなか面白い。

10台同士のかけ算の計算方法。たとえば、「19×17=?」は・・・

 1. 「19」と「17」の1の位の「7」を足して10倍
    (19+7)×10=260
 2. 1の位同士をかけ算する
    9×7=63
 3. 上の数字2つを合算する
    260+63=323

と計算する。これにならえば、19×19は・・280+81=361 と頭の中ですぐ正解が出そうだ。インドでは伝承的にこうした計算方法(他にもある)も受け継いできたらしい。世界には面白くて愉快なものがもっとありそうだ。

苦情を一夜にして消す方法

シカゴのあるビルオーナーは、「エレベータが来るのが遅い!」というクレームをもらい、一夜にして解決してしまいました。はたしてその方法とは何でしょうか?

答えは・・・  「エレベータホールに鏡を設置した」 です。

エレベータのスピードを速めたり、エレベータのプログラムを変えたり、エレベータの数を増やしたりするのは直接的なアプローチだと思いますが、このビルオーナーは「待ち時間を短く感じさせる方法は何だろう?」というアプローチに変えたんですね。

アインシュタイン曰く “When a man sits with a pretty girl for an hour, it seems like a minute.” (かわいい女の子と一緒にいる1時間は1分間にしか思えない) 相対性の本質にしたがえば、エレベータの待ち時間がたとえ1時間であっても、解決方法はありそうです(笑)

日本のお盆は一年で一番死を意識する時期

8月13日に迎え火でご先祖を迎え、16日に送り火でご先祖を見送る。さらに、終戦記念日も迎え、亡くなった人たちの人の命の大切さを再度改めて思う。墓参の際、墓に刻まれた先祖の名前を見ていると、それぞれの父祖・母祖一人一人にも(当然だが)人生があったのだなぁ・・・、幸せな人生だったろうか・・・としんみりと思う。

現代は医学が発達してなかなか人が死ななくなった。それはもちろんすばらしいことだが、目の前の家族・同僚・部下・友人知人もいつかは死ぬということをつい忘れてしまう。だからこそもっと、限りある時間を大切に、家族・同僚・部下・友人知人と自分を大切にしたいと・・・この「お盆」という時期だけ(苦笑) 殊勝にも思う。

2015年の世界の大都市圏人口トップ5は・・・

 1 東京 28.9百万人
 2 ムンバイ (インド) 26.2
 3 ラゴス (ナイジェリア) 24.6
 4 サンパウロ (ブラジル) 20.3
 5 ダッカ (バングラデシュ) 19.5

一つの都市圏をどこまで広くとるかによって統計も変わるかと思いますが、日本でも4人に1人は関東圏という時代。今後ますます世界的に人口の都市への集中が起きます。人あるところにビジネスあり。所得が低くても購入できる消費財・家電・車を中心に、世界中の企業が上記都市に狙いをつけるのは間違いのないところだと思います。今から先回りして現地市場を見てまわりませんか?

イケアに学ぼう

世界最大の家具屋さん・イケア、日本進出。ご存知の通り、組み立て式家具を開発、34カ国に展開するグローバルな企業です。イケアの組立マニュアルはグラフィックスを有効活用し、翻訳しなければならないテキストを徹底的に削減することで、グローバル企業のマニュアル上の模範モデルとなっています。

日本で成功すれば世界でのブランド価値が上がるというビジネストレンドも生まれてきています。日本人が思う以上に日本の価値は高まっています。今後、海外進出を予定しない国内企業でさえ、ある程度の規模でビジネス展開するつもりなら、こうした世界規模で展開する企業が何をしているのか、常にウォッチしリサーチしなければならない時代になりました。世界と戦える力を身につけていないと、突然外資系企業が日本にやってきてマーケットを持っていってしまうという時代になりつつあります。

この点、クライアントに対してWIPが役立てることは多くあります。WIPもクライアントのために役立ちながら、WIP自身も世界に伍す力をつけていきたいですね。

なぜ私ばかり仕事が多いの?」

ある看護師のお悩み相談を読みました。「私が宿直の時に限って、ナースコールが多くて困っています・・・」という相談。それに答えた小林正観さんは「では、あなたは自分が宿直の時ナースコールがないことを望んでいるんですね?」と質問。看護師は「ん~」と言ったまましばらく黙ってしまいましたが「やはりナースコールがあるほうがいいです!」と一発で悩みがなくなったという話です(笑)。

どんな人でも「なぜ私ばかり仕事が多いの?」と思う時がある(あった)かと思いますが、所詮、仕事であれ家庭であれ、全ての人は互いに頼り頼られるという見方もあります。つまり、どんな人も、人からたのまれ、つかわれる。その「つかわれる」ことと「わ」(和)がなくなると「つかれる」んですよ、と小林さん。「『つかわれる』ことと和する」・・・難しいかもしれませんが、頭に入れておきたいと思います。

日本は世界のトップランナー

日下公人さんの著作に最近元気をもらっています。

・ 追いつけ追い越せだった日本は、経済・文化・芸術・感性・美的価値観など多くの点で世界のトップを走っている
・ 素直に「日本はダントツのトップランナーだ」と認めると数年後の世界がわかりやすく見えてくる
・ 世界は今後日本化していく・・・

という主張です。日本が世界一の翻訳大国であること、食や音楽のバラエティさも世界一であること、四季が生み出すバラエティと美しさも世界一であることなどを考え合わせると、確かに現在の日本は、世界一頭も舌も耳も目も肥えている国かもしれません(別に私は自国優位主義者ではありません(笑))。これからますます世界は日本に注目し、日本はそれに応えていく時代が確実に来ます。そのど真ん中の仕事ができることに誇りを持ちたいと思います。

男女別学は革新的!

最近、米国で男女別学が「革新的な教育手法」だと最近評価され始めています。日本の男女別学を古い教育観として戦後改めさせたのは他でもない米国的価値観であり、今でもイスラム圏での男女隔離・男女別学の慣習を「後進的」と捉える価値観が根強い中、いまさら・・・という感じですが、改めて自分の国の慣習や考えを土台に、他国や他人の慣習を「後進」と評価することには慎重でなければならないと感じます。

顔十訓

 1. 自分の顔を好きになろう。
 2. 顔は見られることによって美しくなる。
 3. 顔は誉められることによって美しくなる。
 4. 眉間にシワを寄せると、胃に同じシワができる。
 5. 目と目の間を離そう。そうすれば人生の視界も拡がる。
 6. 口と歯をきれいにして、心おきなく笑おう。
 7. 左右対称の表情づくりを心がけよう。
 8. 美しいシワと美しいハゲを人生の誇りとしよう。
 9. 人生の三分の一は眠り。寝る前にいい顔をしよう。
 10. 楽しい顔をしていると、心も楽しくなる。人生も楽しくなる。

以前、西川秀二さんからいただいた十訓です。

4.を時々忘れてしまいます。胃の痛かった新人時代を思い出します。5.は研直子のことではありません(笑)。常に周りに気を配ろう、という意味ですね。9.は特に大切だと思います。眠りにつく時「今日はいい日だったなぁ」とニヤニヤしながら眠るのを日課にしています。

2007年の干支について

振り返れば、「亥」年生まれのWIP、今年でWIPも創業から12年目を迎えました。亥の年に創業し干支を一周したわけです。「亥」は干支の最後であると同時に、ゼロともいえるポジション。亥の字は「核」にも表わされるように、元々「種」を示す漢字となっています。つまりは、原点。今年は原点に戻り、初心に帰りたいと思います。皆さんも、新入社員のときのフレッシュな気持ちを忘れず、お互いゼロから再出発しましょう!

今日は二つの意味で特別な日

過去をふりかえれば、今日の自分は最古参で最も経験を積み成熟した自分。だが、未来に目を向ければ、今日の自分は最も若く未熟な自分。

今日までの過去の全てを、その時点で最も経験を積んだ自分がなした判断だと全肯定する。と同時に、今日からの未来は、謙虚に最も未熟な自分をさらに磨き、自分の未知領域にドンドン入っていこうとする。学生時代から好きな「宮本武蔵」の映画を最近観て、改めて自分を考える良い機会となりました。

無心の矢

先日、友人とダーツバーに行った。酒のつまみに3本ずつ交互にダーツを射た。射ながら話していたのが「弓と禅」(ヘリゲル著)の一節。「的と一体となるのじゃ!」と言い放ったその時、ダーツの神様が舞い降りてきた(笑)。なんと私の矢がど真ん中に3連続当たったのだ! (゜_゜)! 友人やお店の人を含めておよそ20分程度、腹を抱えて笑い合った。

因みに同著では、どうしても無心になれないドイツ人の弟子を弓の師匠が真っ暗な道場に連れて行き、2本の矢を放つ。1本目の矢を的の中心に、2本目の矢も1本目の矢を真っ二つに引き割いて、的の中心に当ててみせ、「こんな暗さで、的を狙うことができると思うか?これでもまだ、あなたは、狙わずには当てられないと言い張るつもりか?」と諭すシーンは圧巻である。

「ブタ!とブス!」

あるデブの男が外車を繰って山道を颯爽と飛ばしていた。見通しのきかないカーブが近づいたとき、陰から対向車が1台、ハンドルを切り損ねたように飛び出してきた。そして、すれ違いざまにその女性運転手は「ブタ!」と叫んだ。男はカッとなって怒鳴り返した。「ブス!」 男は怒鳴り返して少しスッキリした。そしてカーブを曲がると、ブタの群れに衝突した。

・・という話。男は罵られたと思ったのだが、女性運転手は危険を教えてくれていたのだ。このように、自分の思い込みを覆すのは難しい。それは仕事でもプライベートでも同じこと。

幸い、新しく会社に参加する人が増えてくる。彼らはいい意味で私達の組織と仕事のやり方に思い込みを持っていない。その意味で、私達の思い込みを覆す可能性を秘めた人達だ。彼らが質問してきたら、「それはこの業界では常識だ」「このやり方が最善」と口から出そうになるのを我慢して、画期的なアイデアを引き出したいと強く思う。「ブタ!」と言われてもすぐに「ブス!」と言わない・・果たしてできるだろうか?

「もし固定電話が携帯電話より後に発明されていたら?」

「電話を壁に固定するという素晴らしいアイデアのおかげで、携帯電話がもたらしたあらゆる不便が解消された。人々は着信音に煩わされずにのんびり散歩を楽しめるし、子供たちは朝から晩までメールを打つ代わりに顔を合わせて話をするようになる」

「もしパソコンの後に紙が発明されていたら?」
「私達は紙の便利さに大感激するだろう」

「もし銭湯が今発明されたら?」
「かつて人々は仕事や買い物を終えた後、わざわざ電車で家に帰って汗を流すか、喫茶店で時間をつぶして不機嫌な顔で映画館やレストランに出向いたものだ。だが、2005年に銭湯が登場。人々は広々とした銭湯に集うようになり、やがて銭湯は地域コミュニティの中心になった。東京中が銭湯ブームに沸き、開発業者はマンションを取り壊して銭湯の建設を進めている。今や誰もが不思議に思う。こんな素晴らしいものを、なぜもっと早く思いつかなかったのかと・・」

最近出会った面白い記事。イギリス人が書いたもので実に愉快な発想だ。身の周りの「古い」ものも新しい視点で生まれ変わる気がする。

A rolling stone gathers no moss. (転がる石に苔は生じない)

皆さんにとって、この言葉の意味は何でしょうか?

1.「転がり続ければ苔が生えない。だから転がろう!」派?
2.「転がるから苔が生えない。転がらないことが大事!」派?

実に面白いのですが、国によって、また世代や人によってどちらの意味にとるか変わってきているようです。先日、アメリカ人の友人ボブさんに聞いたら彼は「1」。多くのアメリカ人も「1」と答えるだろうと言っていました。でも、イギリスでは元々「2」、日本でも古い世代は圧倒的に「2」。若い世代は「1」が多いと思います。要は、同じ言葉でも、その人の主観や文化背景によって、全く逆の意味になるということ。翻訳では勿論のこと、コミュニケーションでも十分気をつけたいものです。

10年後に生き残る会社の数はわずか1社

新しい会社100社のうち10年後に生き残る会社の数はわずか1社だといわれています。会社組織というものはさほどに壊れやすいものか・・・創業から10年の節目を終えて、改めて幸運であったこととたくさんの人のご助力があったお陰・・・有り難いことだと年始思いを新たにしました。

会社組織はとても壊れやすいもの、あたかも「下りのエスカレータを登っていく」ようなものです。ただ、今後も、社会が私たちを必要とする限り、わたしたちの組織は生き残っていくはず。感謝の気持ちを忘れず、これからも、50年、100年と後輩たちに引き継いでもらえるような組織にしたいと強く思います。

2006年の干支について

今年の干支は「丙戌」(ひのえ・いぬ)。「丙」という字は、地上に芽が出て葉が広がろうとする形、「戌」は刃物で作物を刈り締めくくる形を意味します。昨年がんばって芽を出した人や近年注力してきた新規事業が一斉に葉を広げて成長し、その成果が生み出される年になるのではないでしょうか。

国と言語の関係

ドーデの「最後の授業」という短編小説を知っていますか?私が小学生の頃、国語の教科書に掲載されていました。非常に感動した記憶があります。私より年齢が上の方は教科書で読んだ経験が多いと思います。

「最後の授業」のあらすじを簡単に。舞台はアルザス地方。アルザスの少年フランツがある日学校に遅刻しますが、いつもと勝手が違います。みんな静かで、先生は正装をし、教室の後ろには村の人たちがいます。アメル先生は「私が授業をするのはこれが最後です。アルザスとロレーヌの学校では、ドイツ語しか教えてはいけないという命令が、ベルリンから来ました・・・ 新しい先生が明日見えます。今日はフランス語の最後のおけいこです」と述べ、生徒たちは最後の授業を真剣に受けます。先生は「フランス語は世界中で一番美しい言葉。ある民族が奴隷になっても自分の言語を保っているかぎりは、その牢獄のかぎを握っているようなものだから、私たちのあいだでフランス語を決して忘れてはなりません」と最後まで授業を続けます。突然協会の時計が12時を打ち、調練から帰るプロシア兵のラッパが窓の下で響きます。授業を終えねばなりません。先生は、黒板に大きく「フランスばんざい!」・・・という物語です。

しかし、いつの間にか「最後の授業」が国語の教科書に取り上げられなくなりました。同地域は長年、フランスとドイツが取り合いをしている地方で、実は同小説が書かれた時期、同地方では日常的にドイツ語を使う人の方がフランス語より多いという時代だったようです。最近「ことばと国家」という本でこの事実(統計)を知り、何故「最後の授業」が取り上げられなくなったのかという疑問が氷解しました。国と言語の関係、複数の日常言語が混在する地域で学校教育をどの言語で行うかという問題は、言語を取り扱う者としてもっと意識すべきだと思うきっかけになりました。

未来の言語ビジネスの姿

今後ますます人の往来と交流は増えると思われます。NYや欧州まで12-14時間かかっていたのがいずれ6-7時間で行ける時代が必ず来ます。その際コミュニケーションの手段として選ばれる言語は英語。世界の誰もが話し合いに使う言語として「英語」を選んでいく・・まさに英語への一極集中が起きます。

その一方で、英語による表面的なコミュニケーションではなく、微妙な感情や思いを表現する深いコミュニケーションは母語を選んでいく傾向が強まるでしょう。ますます母語を自分のアイデンティティと感じる傾向は深まっていきます。教育現場でも、国家が定める標準語ではなく、地元の言葉で教育を行う傾向も出てくるはずです。実際、ハワイでは、以前「ハワイ語は外国語として教えよ」との法律がありましたが撤廃されました。日本でもいずれ琉球語をはじめ同様の傾向が出てきます。また、地域コミュニケティで発行される新聞や文学作品も地域語で書かれることが増えていきます。つまり、ますます言語が細分化されていくという潮流です。

国家もますます細分化していきます。1945年の国連加盟国は51カ国でしたが現在191カ国。パレスチナ、チベット、ケベック、バスク等々独立したい地域は順番待ちの状態です。同じ言葉を共有する人たち(各民族)が自分のコミュニティをつくっていこうとする傾向には歯止めが効かないでしょう。50年以内に加盟国数が250-300になるのは間違いがないと思っています。

グローバリゼーションが進む一方、言語と国家が細分化されていく・・こうした面白い流れの中で、一番重要な仕事は私達の仕事、言語サポートです。人や国家の交流が増えるにつれ、比例級数的に外国語間コミュニケーションをサポートするビジネスは増大すると思われます。すなわち、面会、電話、携帯、メール、メッセンジャー、文書・・あらゆるコミュニケーションに介在していくとすると、いくら手があっても追いつかない状況となっていきます。いずれ膨大なトランスレーションメモリーを抱えた超高性能の同時翻訳サーバが登場し、音声とテキストの変換でサポートし、会話者が求めればパラフレーズするといった時代が到来するでしょう。

翻訳者=「俳優」論、コーディネータ=「監督」論

英文を書いた人がもし日本人だったら・・・日本文を書いた人がもし米国人だったら・・・。原文を書いた人に徹底的になりきることが翻訳の醍醐味です。原文作者がどんな人で、どんな能力を持ち、何を考え、何を目的にどうしたいのか、翻訳者がその能力も思考も徹底的にその人の立場に立ちきることができれば最高の翻訳になると考えます。つまり、言語表現上の「俳優」が翻訳者です。

一方、私の会社が取り扱う翻訳では、翻訳者のみで完成するのではなく、コーディネータやチェッカー・エディターが別に存在します。特にコーディネータの仕事は、予算と納期の制約の中で、能力のある名俳優を発掘し、原文作者の立場に立たせ(考えさせ)、どう演技(表現)すべきかをキチンと指導するという点で「監督」と同じです。名俳優と名監督が合わさって初めてすばらしい作品が出来上がるのだと思っています。

人の行く 裏に道あり 花の山

髭を生やし、長い髪にバンダナ・・と、いわゆる「学者」らしくない風貌の数学者・秋山仁さん。彼の学生時代は失敗の連続でした。

まず、高校受験で失敗、できたばかりの高校に入学したものの成績はビリになったこともあったといいます。大学受験もことごとく落ちて、行きたくなかった大学の補欠合格で進学しました。大学院入試では、成績が悪いため担当教授に推薦状を書いてもらえず不合格。できたばかりの大学院を受験したところなんと受験生は彼一人。それで進学することができました。修士論文では論文が認められず留年。当時「微分」の研究をしていましたが、競争相手もたくさんいるので殆ど競争相手のいない「組み合わせ」「グラフ」分野の研究を始め、ついに日本で初めて「グラフ理論」で博士号を取得しました。

誰もやっていないこと、競争が少ないところを進んでいくうちに、オンリーワンになっていく・・そんな生き方もまた大いに愉快です!事業経営にも大きな示唆を感じます。

思い出深い人の思い出話を思い出す

先週、伊藤英子ローザさんというお知り合いの方がご逝去されました。ご生前にいろいろと素敵なお話をしてくださいましたが、特に印象深いのは忠犬ハチ公との思い出話でした。伊藤さんが若い頃、良く渋谷駅でハチを見かけ、撫でてやったそうです。

ハチは秋田生まれの秋田犬。東大教授の上野さんが飼っていた犬で、朝夕送り迎えをしていたそうです。ある日上野さんが大学構内で急逝。その後頻繁に渋谷駅で待っているハチが見かけられます。ハチはいたずらをされたり、駅員さんに怒られたり、夜の露天商に邪魔にされたり、野犬と間違えられて捕まったりしました。それを哀れに思った人が新聞に寄稿。事情が分かった人々はハチをかわいがったといいます。その後修身の教科書にも登場し、銅像の除幕式にはハチ公本人(犬?)も出席したとのこと。思い出深い人が語った思い出話を思い出す。改めて心温まる感じがします。

素晴らしい哉、選挙活動!

この度の衆院選。社会人になった時の同僚で以来ずっと親しくしている親友の選挙活動を応援しました。おかげさまで、結果は当選!落下傘でわずか1ヶ月の選挙準備、地盤・看板・鞄なしで闘い、5期連続当選の民主党候補を打ち破ったのはまさに奇跡。嬉しいことこの上ありません!

ユニークで個性豊かな学生諸君と乗り込んだ選挙活動は実に愉快でした。街頭演説、チラシ配布、連呼、街宣活動、練り歩き・・・たくさんの人と出会い、握手をし、声をかけあう、すばらしい体験でした。また、たくさんの人から「路上陳情」とでもいうべきお願いごともされました。涙を浮かべながら家族の問題・地域の問題をなんとか解決してほしいと懇願される人もありました。多くの人が切実な思いや悩みを持っていることに改めて気づかされました。

政治であろうが、事業や商売であろうが、すべては結局「人助け」。困った状況を解決し、困っている人を助け、喜ばせるという一点で同じなのだと、それこそが基本なのだと再認識させられた素晴らしい体験でした。

マルチカルチャーの中でのチャレンジングな仕事

「私は、日産に来る以前から、マルチカルチャーの環境はチャンスだと言い続けてきました。なぜか。人は、言語であれ、芸術であれ、歴史であれ、違いに触れることによって学習するからです。相手との違いについて自問自答することによって、自分自身を見つめ直すことができるのです。」(カルロス・ゴーン(ルノー・日産グループ会長))。 

カルロス・ゴーン氏の経歴はまさにマルチカルチャーに彩られています。彼はブラジルで生まれ、レバノンで育ち、フランスの大学で学びました。その後、タイヤメーカー・ミシュランに入社、ブラジル、北米で実績を挙げ、ルノ―にスカウトされます。その後、日本へ来て、日産を復活させ、ルノー・日産グループの会長にのぼりつめました。氏は現在も、会社の将来を担うと期待する人には敢えて海外の困難な仕事をチャレンジさせるといいます。彼自身がマルチカルチャーの中で困難な仕事を磨き砂として自分自身を叩き上げてきたからでしょう。この「困難な仕事」こそが人を育てるという彼の考えが好きです。遠慮せず、自分にも後輩にも難しい仕事にチャレンジさせたいですね。「マルチカルチャーの中でのチャレンジングな仕事」・・・今後の自分のキーワードにしたいと思います(微笑)。

「今、全世界で『反専門家主義』という反乱が起きている」

先日の読売新聞に「第三の波」で有名なアルビントフラー夫妻がこのようなことを論説を書いていました。確かに「反専門家主義」、つまり職業的専門家=医師、弁護士、政治家、ジャーナリストなどに対して「素人」の人たちが疑念を持つ(簡単に鵜呑みにしない)ようになっているのは、今に始まったことではありません。以前から、あったのです。しかし、昨今のブログの進展により、「素人」が「玄人」を凌駕し始めました。

私たちも職業的専門家です。もしあなたにその自覚がなくても(それでは困るのだが・・)少なくとも人は専門家と見ます。そのとき彼らはあなたの言うことを「本当かな?」と疑ってかかるということ、そういう傾向が以前より現れ始めているということ、は頭に入れておいていいでしょう。その背景として、専門知識は自由に入手できる時代になってきたということがあります。今後、専門知識を商品として売る時代ではなく、専門知識はもちろんのこと、より深い力(経験で培われた深い知識/ノウハウ/スキル+人間的な総合力)で勝負する時代になってきていると思います。

「土用の丑の日、うなぎの日」

本日は土用の丑の日。日本人がこの時期に鰻を食べるようになったルーツは平賀源内の名コピーといわれています(諸説あります)。「土用の丑の日、うなぎの日。食すれば夏負けすることなし」- 夏、鰻が売れないと鰻屋に泣きつかれ、日本コピー史上最高傑作を生み出したというわけです。古今東西、自分の商品やサービスをお客さまに買っていただく苦労は同じのようです。

それと同時に、対外だけでなく対内、つまり社内(上役・同僚)に対して、自分の提案や考えを買ってもらうのも苦労があることと思います。お客さまや社内に対して、自分の考えを売り込む力について、もっと伸ばすこと、工夫すること、粘り強くなることに関心を持ちたい(持ってほしい)と思います。

区切りの悪いところで止めよう

小説家がひとつのシーンを書き終えて区切りのいいところで休憩をとると、再び書き始めようとするとき、とても億劫に感じるらしい。ところが、その次のシーンを1行でも2行でも書いてから休憩をとると、すんなり仕事を再開することができるという。たとえ1ヵ月後にやればいいような仕事でも、前もってチラリと書類を見る、ちょっと数分間考える。それだけで保留しておいても、あとは「無意識」が仕事を片付けてくれることを私も時々経験します。仕事は区切りのよいところで止めずに、もう半歩だけでいい、ほんのちょっと「区切りの悪いところ」まで踏み込んでおきたいと思います。

「ため1割」という言葉、知っていますか?

昔から商人には「ため1割」という言葉があります。自分が10尽くしても、相手は3してもらったとしか思わない。それで「3してくれたから、3返さなければ」と3返してくれても、「1してくれた」としか感じない。結局、10したのに返ってくるのは1だけ。だが、それで十分だと思わなければならない、という話です。自分がした場合も、相手にされた場合も、覚えておいてよい話だと思います。

自分の機嫌をもっととりましょう!

最近鏡を見る回数が少なくなりました。鏡を見て自分がどんな顔をして仕事をしているか、よく観察してみましょう。そして、苦々しい顔をしていたら、自分自身に笑顔を贈ってあげましょう。他人のご機嫌をとる必要はありません。自分の機嫌がいいことで、はじめて他人にもおすそ分けできるのだと思います。

貧困に対し貢献できないか

あるフォスターチャイルドから写真が届いた。いつも父親と並んでいる写真だ。以前は父親の腰のところぐらいの背だったのが、今は父親と同じぐらいの背になった。子供の成長は早いものだ。

さて、改めて疑問に思うのは、世界にはすさまじいほどの貧困層があるのに、なぜその解決は(今のところ)絶望的なのだろう? 世界の富める者も貧困に対し施しや寄付をしたくないわけではないのだが、富める人々と最貧困の人々の間にたちはだかるのはまず家族であり、友人であり、身の回りにいる人であり、同じ地域の人であり、同じ国の人だ。「私たちは困っている。なんとかしてほしい」と言って…。つまり、富める人と最貧困の人々の間にたくさんの人々が存在し、最貧困の人たちの声が届かない状況だ。フォスタープラン協会の事業は、最貧困の人々と直接コミュニケーションをとる点で、上記の問題を克服するのに成功していると思う。また、私たちの仕事は、世界に目を向ける直接的な仕事だ。世界の声と情報を届ける事業を通じて、貧困に対してもっと貢献できないものか、改めて考えてみたいと思う。

多数派と少数派

日本で各種の障害を持つ人の数は約3百万人。その総数より多いのが色覚障害者です。男性の約5%、女性の0.2%が該当すると言われています。つまり、1教室/クラスには1-2名いる計算になります。色覚障害者に対する偏見や差別を背景に、小学校4年次で実施されていた「色覚テスト」が2003年に廃止されました。今後、色を使って他人に説明したり、多人数の前でプレゼンをしたり、WEBサイトを設計する場合、 ・縁取り ・色名を併記する ・色の組み合わせには明度/コントラストをつける ・白黒でも意味が通じるような図や線を使用する などの工夫が重要です。血液型が多様であるように「見え方」も多様。色の濃淡の見極めについては色覚障害者の方が色覚障害でない人より格段に優れています。「多数派と少数派」はあっても「正常と異常」はない、と捉える思考を持ちたいものですね。

最大の障害は「不安」と「疑心」

今から60年前の今頃(6-7月)アメリカでは原爆開発の最終局面に入りました。そして翌月8月に広島と長崎に原爆を投下しました。アメリカは原爆開発に約10年の歳月を費やしたといいます。その頃ソ連では原爆研究が始まったばかりでした。アメリカの科学者は、ソ連でも同じように10年程度の開発時間がかかるだろうと目算していました。しかし、ある科学者は「我々が10年かかったのは、『はたして原爆というものが本当にできるのだろうか』という疑心暗鬼があったからである。おそらくソ連は開発成功に5年もかからないだろう・・」と述べました。はたして結果はどうだったでしょう? ソ連はアメリカが原爆投下後3年で原爆はおろか水爆まで開発してしまいました。

このエピソードは、人が新しいことにチャレンジする際、最大の障害は「やってもできるだろうか」という不安と疑心だということです。私たちの日常の仕事にも毎日小さなチャレンジがあります。「できるだろうか」という不安とともにやり始める仕事も多いでしょう。しかし、ぜひ「できるだろうか」という不安をぶっとばして、果敢にチャレンジを積み重ねていきましょう! (もし万が一失敗しても私がお客様に謝りにいきますから・・(笑))

仕事と会社に対する誇り

ところで、皆さんは会社や仕事についてご両親・家族にどのように報告していますか?ご両親に「つまらない会社」「面白くない仕事」と愚痴ってはいませんか?(苦笑)(ご両親は心配しますよ・・)。 

いろんな友人や知人に会って時々感じることは、自社を「いい会社だ」と褒める人、自分の仕事を「面白い」「充実している」と言う人は、周りを感化する力があるように思いますが、残念ながらめったにお目にかかれません。友達が集まれば「うちの会社はしんどいよ」「俺の仕事はつまらん」という愚痴を言い合う場となり、日本中のみんなが「自分に合う理想の会社と仕事」を探し回っているようにも感じます。

私の立場で「会社を褒めよ」というと嫌らしいことになってしまいますが、同じ一職業人として、自分の仕事や会社に誇りを持ってほしいと切に思います。また、そう思える人にこそ、責任ある立場/仕事を任せたくなるのはどこの会社/団体/組織でも同じだと思います。

東京ガス・シニアシュミレーション(老人疑似体験)を訪れて

耳が遠くなるということ、目が悪くなるということ、手足が自由に利かないこと、老いるということはこういうことなのか、と少しでも実感できたことが財産です。ずばり「老いる」ショック。特に白内障があれほどだとは思いませんでした。誰しも自分の感覚が「普通」だと思ってしまいます。特に若い時分は。全盲体験もすばらしいものでしたが、老人疑似体験もすばらしいものでした。あなたも体験すれば年配の方に接する態度が変わるでしょう。

知識と経験の弱さ

技術、経験、知識のある人ほど却って弱いのかなと思うことがあります。「いい技術者ほど、できないという理論を知っている」という言葉を遺した自動車王フォードは、工場で技術者にこんなことができないかという相談に行くと、特に優れた技術者であればあるほど「それは無理ですよ、できません。理論上から無理です」ということが多くて困ったものだと述べています。

これは技術だけでなく、経験(特に成功体験)や知識を持っている人にもあてはまるのではないかと思います。難しそうな仕事に直面したときに、経験や知識のない人のほうが「ともかくやれるだけやってみよう」と取り組める傾向があり、知識や経験のある人は最初から不可能と考えてしまう傾向があることは否定できません。確かに、知識や経験は仕事に見通しを与えてくれます。しかしながら、一方でその知識や経験にとらわれてはいないか自戒すべきだと思います。つまり、頭の中だけで考えず、まずは思い切って仕事にあたり、その上でうまくできないか、知識と経験を総動員するという方法をとることができればいいですね。

全ての人、組織に寿命あり

大阪三越の閉店を見届けました。同店の創業は1690年。315年という歴史に幕を閉じる瞬間に居合わせることができたことは幸運でした。最後は店長が店外に出てきて、淡々とした閉店スピーチをされましたが、残念さは誰よりも感じているでしょう。シャッターが閉じられていく瞬間、ジーンと胸が熱くなりました。どんなものでもいつかは終わりがくるいうあたりまえのことに改めて気づかされたと同時に、自社もいつか後輩たちが同じ瞬間を迎えることになるのかな、と感傷的になったためであります。人の命も同様ですが、会社・店というものもいかになくなりやすいか、を改めて思い知らされた次第です。しかし、だからこそしっかりと時代の要請に応えるべく、個人として組織人としてしっかりと活動していきたい、引き継いでいきたいと感じています。

謝罪にも文化あり

怪談を一つ紹介 ・・・ 「東京で、ある女が「遊んでいる」うちに子供ができてしまった。一人で生み落とし、赤ん坊を東京駅のコインロッカーに入れ、カギをかけて、棄ててしまった。女はそれ以来、東京駅には近寄らなかった。数年後、就職した女は上司の命令で、東京駅近くの取引会社に書類を届けることになった。ためらいながらも、あのコインロッカーの前を通ると、小さい男の子がうずくまって泣いていた。周りの通行人は、なぜか、その子に目もくれずに通り過ぎていく。「どうしたの?」と女は聞いたが、返事がない。「お父さんは?」と聞くと、「分からない」と下を向いたまま、泣いている・・。「お母さんは?」と聞くと、男の子は顔を上げ、「お前だ」と言って、消えてしまった。」という話 ・・・ 怖いですね ・・・ 

さて、何を言いたいかというと、日本人の感じる恐怖は心の中の罪の意識が根底にあるのではないかということ。そして、この罪の意識は国によって大きく違うかもしれない、ということです。欧米諸国では、犯罪者が自首する率が極めて低く、もし自首する者があっても嘘が多く、精神異常者ではないかと疑われると聞いています。 一方、日本の自首率は外国に比べ圧倒的に高く、「申し訳ない」と心を開いて自首する者が多く、自首に嘘が少ないと聞きました。今、日中間で「謝れ、謝らない」という小競り合いがおこっていますが、罪の意識と「謝る/謝らない」という文化にはやはり違いがあるのだと改めて感じます(もちろん罪の意識以外の諸事情もあると思います)。世界では、簡単には「謝らない」文化の方が多数派ではないでしょうか。どちらが正しいということではなく、「謝罪」文化にも違いがあるということを忘れないでおきたいでものです。

体は知っている

「家庭でできる断食養生術」という書籍に面白いことが書かれていたのでご紹介します。

ロシアの精神科医が、精神分裂病等が悪化する際に患者が頑なに食事を拒否するのを見て、病気を治す反応ではないかという仮説を立て、患者に水のみを与えて観察したところ、無理矢理鼻腔から栄養を摂らせた患者に比べ治癒率が高いことを発見しました。

アメリカ人医師が、飢饉の地域で食糧供給を始めるとまもなくマラリアや結核が発症し始めることから、栄養過多が感染症を引き起こすという仮設を立て、第一次大戦中にインフルエンザで最も多く死んだのは栄養の行き渡っていた人々であったこと、第二次大戦の収容所で低栄養状態におかれた人々がハシカやチフスに対して最低の罹患率を示したこと、等々の事例から、栄養素は体の維持より、病原菌やウイルスの増殖に利用されていると結論付けています。

病気の時、食欲不振になっても「頑張って食べさせる」家庭が多いと思いますが、食欲不振は体自ら治そうとする反応だと考える方が自然ではないかと思えてきます。

無理に売るな、客の好むものも売るな、客の為になるものを売ろう

お客様の言う通りにしていてはいけません。それを超えなければいけません。そのためには「このお客様の為になることは何だろう?」という視点こそ大切。あなたはできていますか?

国立科学博物館を訪ねて

今日(2005年3月末時点)の1年前、昨年の3月末に宇宙が誕生したとすると、昨年12月頃に地球ができて、今年1月下旬に生命が生まれました。恐竜は先週(約1週間前)に発生し一昨日絶滅しました。北京原人やジャワ原人が登場するのは今日の朝8時半頃で、農業が始まったのはたったスピーチを始めた後、ほんの15秒程度前です。そう考えると、なんと私たち人類の歴史は新しいのでしょう。

でも、実は私たちの体(遺伝子)が記憶している歴史は地球の歴史以上かもしれません。私たちが怪我をした時に傷が治る仕組みは、地球に酸素がなかった時代の記憶と言われています。古いご先祖が経験してきた病気にかからないで済むのは、受け継いできた遺伝子上の記憶のおかげです。そう考えると、気の遠くなるような長い歴史を通してずっと受け継いできたものを、私たちは自分の体の中に持っているのですね。自分の体そのものが「地球の歴史」「宇宙の歴史」だということを改めて感じます

自分の死を考える

「お葬式で流したい曲」ベスト10が発表されました。英国でNo.1となったのは、ロビー・ウィリアムスの「Angel」でした。国別の投票結果では、ドイツ人はヘヴィメタ、イタリア/スペイン人はクラシック、ノルウェー人はフランク・シナトラの「My Way」、スウェーデン人はエリック・クラプトンの「Tears In Heaven」などを選んだそうです。 ・あなたの葬式で流してほしい曲は何ですか ・友人/同僚にどんな弔辞を読んでほしいと思っていますか? 自分の死というものを少し考えてみることで、自分自身の人生に込めたいメッセージが見えてくる気がします。

自分の心は自分で

一編の詩を紹介します。「忙」「忘」という漢字はいずれも「心を亡くす」こと。忙しくなってイライラする自分がいたら、他人や自分に対する心配りを忘れていたら、味読したいと思います。結局、自分の心は自分が支配しているのですね。

   自分の感受性くらい     茨木のりこ

      ぱさぱさに乾いてゆく心を
      ひとのせいにはするな
      みずから水やりを怠っておいて

      気難しくなってきたのを
      友人のせいにはするな
      しなやかさを失ったのはどちらなのか

      苛立つのを
      近親のせいにするな
      なにもかも下手だったのはわたくし

      初心消えかかるのを
      暮らしのせいにはするな
      そもそもが ひよわな志にすぎなかった

      駄目なことの一切を
      時代のせいにはするな
      わずかに光る尊厳の放棄

      自分の感受性ぐらい
      自分で守れ
      ばかものよ

ドロシー・ロー・ノルトの「子ども」

皇太子殿下が最近出されたコメントに惹かれました。ドロシー・ロー・ノルトの「子ども」という詩は、子供だけではなく大人にもあてはまる気がします。会社というコミュニティの中でもお互いに思いやりを持って接することが大事。そうすることで社会全体も変わっていくはずです。

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<皇太子殿下のコメント>

「愛子の養育方針ですが,愛子にはどのような立場に将来なるにせよ,一人の人間として立派に育ってほしいと願っております。3歳という年齢は今後の成長過程でも大切な時期に差し掛かってきていると思います。愛子の名前のとおり,人を愛し,そして人からも愛される人間に育ってほしいと思います。それには,私たちが愛情を込めて育ててあげることが大切です。つい最近,ある詩に出会いました。それは,ドロシー・ロー・ノルトというアメリカの家庭教育学者の作った「子ども」という詩で,スウェーデンの中学校の社会科の教科書に収録されております。

『 批判ばかりされた 子どもは 非難することを おぼえる
 殴られて大きくなった 子どもは 力にたよることを おぼえる
 笑いものにされた 子どもは ものを言わずにいることを おぼえる
 皮肉にさらされた 子どもは 鈍い良心の もちぬしとなる
 しかし,激励をうけた 子どもは 自信を おぼえる
 寛容にであった 子どもは 忍耐を おぼえる
 賞賛をうけた 子どもは 評価することを おぼえる
 フェアプレーを経験した 子どもは 公正を おぼえる
 友情を知る 子どもは 親切を おぼえる
 安心を経験した 子どもは 信頼を おぼえる
 可愛がられ 抱きしめられた 子どもは 世界中の愛情を感じとることを おぼえる 』

子どもを持ってつくづく感じますが,この詩は,人と人の結び付きの大切さ,人を愛することの大切さ,人への思いやりなど今の社会でともすれば忘れられがちな,しかし,子どもの成長過程でとても大切な要素を見事に表現していると思います。非常にこの詩には,私は感銘を受けました。家族というコミュニティーの最小の単位の中にあって,このようなことを自然に学んでいけると良いと思っております。

また,愛子にはいろいろな経験をさせたいと思います。私自身,幼少のころから両親である今の両陛下にいろいろな場所に連れて行っていただき,そのなさりようを見ていたことが,今日でもとても良かったと思っております。その意味でも,愛子が公務を始めるというのではなく,私たちがやっている姿を見せることも大切と考えます。3歳になりましたので,いろいろな意味で社会性を身に付けていくことも大切と思っています。言葉もかなり自由に出ますので,日常生活でのあいさつや,これはもう前からしておりますが,食事のときの「いただきます」,「ごちそうさま」など,また,何かしてもらったときの「ありがとう」という言葉などは大切と思っています。幸い,年齢の異なるお友達にも恵まれて,リトミックの先生方のご指導を得て,生活における簡単なルール,例えば列を作って順番を守ることなど少しずつ身に付いてきていると思います。

昨年の暮れから今年の正月にかけては,お餅(もち)つきや凧(たこ)揚げ,独楽(こま)回し,羽根突き,カルタ,そして雅子がしている書き初めのわきで,遊びで習字なども一緒にいたしましたが,これは,私たちが愛子に日本の古くからの習慣や文化にも触れてほしいと思ったからです。私自身,幼少のころから両陛下の下で百人一首に親しんでいましたし,雅子も外国生活が長い中で,両親が日本文化を忘れないようにと正月にはよく百人一首をしたといいます。愛子には七五調の使われている童謡などを通して自然にこのリズムが身に付き,簡単な七五調の言葉遊びが楽しめるようにと思っています。あわせて,このような日本の良い習慣が現在少しずつ失われつつあることを残念に思い,是非,今後も永く子どもたちの間で親しまれることを心から願っております。」 

沖縄探訪について

初めての沖縄旅行でしたが、嘉陽という村の一軒家に1泊、カヤックでしか行けない海岸のテントで1泊し、大変印象深いものになりました。夜は満天の星空を期待していたが、曇りで見えず残念。ちょっと肌寒い夜で、焚き火のみの明かりで一夜を過ごす経験も貴重なものとなりました。沖縄の人を表すキーワードとして「テーゲー」があります(「大概」と書きます)。簡単に言えば、アバウトな性格ということになりますが、狭いコミュニティに一生を過ごす人たちにとって、人を追い込まない(お互いに追い込みあわない)昔からの術なのかもしれませんね。「テーゲー」ばかりでは、特にビジネスでは厳しいものがありますが、心の中のどこか、または一日の中でどこか、上手に「テーゲー」精神をあたためる必要はあるでしょう。

楽天主義

昨年から「楽天」が注目を浴びています。「楽天」という社名の由来は知りませんが、楽天主義(楽観主義)を表す英語として「オプティミズム」があります。哲学用語としては「最善観」と呼ぶそうです。「最善観」とは、この世の中は全て最善に作られているという考え方です。つまり、自分の身にふりかかること、自分が出会う人・友人・家族・会社・仕事・上司・部下・・・全てが、最善に進行している宇宙秩序の一部だという考え方です。

自分にとって全てが最善に作られているなんて、昔はほとんど考えることなど出来ませんでした。しかし、最近はそうなのかな、と思う時があります。「楽天知命」という言葉もあります。「天命を楽しむ」という意味です。全てを「天命」だと一切受け入れ、人を咎めず憎まず、最善と信じて過ごせる境地を目指したいものですね。(私にとっては簡単ではありませんが・・)

人生は歯医者の椅子に座っているようなもの

「人生は歯医者の椅子に座っているようなものだ。さあ、これからが本番だ、と思っているうちに終わってしまう」(ビスマルク) 「夜と霧」(著者:フランクル)という本の中で紹介される言葉ですが、ユダヤ人強制収容所では、この生活さえ終わればいよいよ私の人間としての真価が発揮される、と信じていた人が多くいました。しかし現実には、人間の真価は収容所の生活の中でこそ発揮されました。つまり、毎日の生活に何の期待も持たず無気力にやり過ごす人と、(ごく少数ではありますが)極限の状態におかれてもなお人間としての崇高さを忘れず内面の豊かさを維持できた人に分かれたのでした。「本番」をずっと先延ばししているのが私たちの人生かもしれません。まずは今現在与えられている環境の中でこそ真価を発揮したいと思います。

アガサ・クリスティと人間観察

1/12はアガサ・クリスティの逝去日でしたね。私は彼女の作品の中でも「オリエント急行殺人事件」が好きで、原著、ビデオ、テープを買って英語の勉強をしていたことがありました。この作品に惹かれる理由は、様々な人種と階級の人間が登場すること。すばらしいと思うのは、彼女がその一人一人のふるまいや言葉遣いを全て言葉で描き切っているところです。偉大な作家は一様に、人間観察が優れています。普段、私たちは見ているようであまり見ていないのではないでしょうか。改めて観察力の大切さを思い知らされます。

「男の修行」 山本五十六

 苦しいこともあるであろう
 言いたいこともあるであろう
 不満なこともあるであろう
 腹が立つこともあるであろう
 泣きたいこともあるであろう

 これらをぐっとこらへてゆくのが
 男の修行である

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「男の修行」とありますが、女性も同じかもしれません。こらえて飲み込む量が多ければ多いほど、大きい「器」ということになるのでしょう。すぐ吐き出したくなりますが(苦笑)・・・

2005年の干支について

「乙酉」(きのと・とり)。「乙」という字は、土の中で力をためた芽がいまや伸びていこうとする形、「酉」は酒壺の中にたまった麹が発酵している様子を表す形。前回の「乙酉」は1945年終戦の年となります。密かに力をためてきた人・企業が少しずつ頭角をあらわし盛り上がってくる年になるのではないでしょうか。さあ、あなたの出番です!準備はいいですか?

日本人の姓名表記(英語)について

創業間もない頃から、WIPでは日本人の姓名をローマ字表記する際、「姓-名」の順で表記してきました。国語審議会も「人類の持つ言語や文化の多様性を人類全体が意識し、生かしていくべきであるという立場から」WIPと同じ考えを提言しています。三省堂の英語教科書New Crownも現在では「My name is Kato Ken」というタイトルのレッスンがあるそうです。今後は「姓-名」が少しずつ増えてくるでしょう。「国際語としての英語は英語圏だけのものではないのだから、世界各地の国や地域特有の文化によってルールが変わってもよい。名前は自分が何なのかを示す個人の原点でもあり、その順序も含めて民族の文化だ」というNew Crownの基本的立場を改めて支持したいと思います。

「たいせつなのは、どれだけたくさんのことをしたかではなく、どれだけ心をこめたかです」

マザーテレサの言葉ですが、家族や友人はもちろんのこと、同僚や仕事上で出会った方、電話で会話をする方々にどれだけ心を込めて接しているでしょうか? 私には耳の痛い言葉です。

「パナマ運河物語」再読

ご存知の通り、パナマ運河が出来上がる以前、大西洋から太平洋に航行する船はすべて南米大陸の先端を回っていました。大変な距離です。そこで、パナマ運河を作ろうという気運が高まり、スエズ運河建設で名を上げたフランス人・レセップに白羽の矢が立てられました。自信満々の彼はパナマ運河の工事に着手します。しかし、2万人以上の人命と大金が犠牲になった上、工事途中で断念することになりました。そこで、アメリカが引き継ぐこととなり、当時のルーズベルト大統領は軍人であるゴータルスに使命を託します。選ばれた理由は、もちろん専門技術と経験がベースではありますが、「面構え」「自分が正しいと信じる時のたくましさ」がポイントだったといいます(笑)。

軍人がトップに来るということで、建設現場で働く人たちは皆、軍隊式にビシビシやられるのではないかと眉をひそめていました。ゴータルスは着任早々「不服や忠告のあるものはいつでも私のところに来ていただきたい。私も腹蔵なく意見を言う。肝心なのはお互いの了解です」と述べ、現場監督が労働者に手荒いことをしたり、乱暴な言動をすることを禁じました。そして見事、世界最大の難工事をやり遂げたのでした。多くの人命が失われるのは何も戦争だけではありません。こうした工事も貴重な「戦争」なのですね。私達の生活や便利さも先人の労苦の上に成り立っているという事実に改めて思いを馳せたいと思います。そして「仕事で大切なのはお互いの了解」という彼の信念とたくましさに見習い、人類に役立つ仕事ができればいいですね。

商売とは生きるための芸術

上海出張を目前に最近中国人のビジネスや商法に関心を持つようになりました。中国では、日本の「商売」にあたる言葉として「生意」を使うそうです。「生きることへの意思」が商いであるという意味です。台湾製造業最大の企業集団「台塑集団(台湾プラスチックグループ)」創立者・王永慶(ワン・ユウチェ)氏は、「日本語で『商売』というとき『生意』にある生存を求めるという崇高な意味は含まれていません。頭を使わない、勤労しない、我慢しないで、ただ商売するのは「生意」とはいわないのです。「生意」は技術ではなく、生きるための意思と道理を習得した芸術なのです」と述べています。

また「日本人は『商売』の言葉通り、売ることばかりに目を向けて買うことをないがしろにしている」とも述べています。とかく商売というものに対してネガティブな印象(金儲け、駆け引き等々・・→悪いこと)を抱く日本人は少なくありません。しかし、日本でも戦後の飢えた時代、駆け引き上、1枚の着物を何個のサツマイモと交換できるかで家族が何日生き延びられるかが決まった時代がありました。駆け引きが悪いと思う心には「生きるための芸術」という真剣な思想がないのかもしれません。また、商売とは「売買」なのだ、という基本を思い出させてくれます。私達は売ることだけではなく、買うことにも真剣でなければいけませんね。

すべての商売はマスタービジネス

「すべての商売はマスタービジネスである」(小阪祐司さん)という視点は非常に面白いと思います。真の商売人とは「伝えたい、広めたい、教えたい」という明確な情熱を持っているはずで、それに「入門」「参加」するのがお客様だという考え方です。つまり、真の商売人は新しい世界を提示する「マスター、伝道師」で、それに共感・共鳴するのがお客様であるという考え方です。マスターであるあなたが「教える」ことであなた自身も「学び」、マスターであるあなたが新たな世界を「教える」ことでお客様が「気付き」「感動し」「感謝する」という流れです。

以前にも「お客様のニーズに対応するだけのビジネスはお駄賃しかもらえない」という話をしたことがありますが、お客様は、ニーズ対応を超えた、あなたにしか語れない言葉やサービスや世界を見たがっているのではないでしょうか。あなたは何のマスターですか? 厳しい問いかもしれませんが、「すばらしい翻訳とは?」「すばらしいリサーチとは?」「私のサービスであなたの世界がどんな風にすばらしくなるか?」を呈示できるように、会社組織としても個人としても目指したいと思います。

日本をミステリアスにしている英語訳

明日「文化の日」は以前の「明治節」です。明治天皇の誕生日をお祝いする日でした。そこで以前から疑問に思っていることを。

現在「天皇」に対する訳語として一般的に「emperor」が当てられています。世界で唯一、まさに「ラストエンペラー」となっているわけです。が、(戦前の一時期を除いて少なくとも)現在の天皇に「emperor(=帝国の専制支配者)」という訳語を当てることが正しいのでしょうか。

同じようなものに、「国会」=「Diet」、「県」=「prefecture」などが挙げられます。「国会」ですが、明治時代にドイツ帝国議会(神聖ローマ帝国時代に各州の諸侯が集まっていた議会)を模範にしたいという思いから、当時英国で「Diet」と呼ばれていたドイツ議会を表す言葉を採用したものだそうです。しかし、現在では「Diet」と呼ばれる会議は日本のみとなってしまい、(少なくとも)英語を使用する人からは「Diet=食物?」という極めてミステリアスな印象を与えています。

「県」=「prefecture(=昔のフランスで長官の統括地域を指す言葉)」も来日外国人を当惑させる言葉となっていて、現在では「藩」のニュアンスを持つ言葉となり、使用する国も日本のみとなってしまいました。いずれも次第次第に時代にそぐわなくなってきた訳語であり、それを慣習的に使用することによって次第次第に日本が(ユニークというより)ミステリアスな国としての印象を深めることは、個人的に残念に思っています。

言葉を取り扱う会社として、あたりまえのように慣習的に使用されているこうした訳語について常に敏感でありたいと思います。また、折を見て社会的に問題提起することで、事業を通じて日本を「改革」できればすばらしいですね。

NHKスタジオパークを訪れて

なかなか面白いしつらえでした。特にNHKワールドニュースという世界中どこでも見る(聞く)ことの出来る20ヶ国語放送に興味が惹かれました。これからデジタル放送の全盛時代が始まり、インタラクティブ性とグローバル性が結合するとどんなことが起きるのか、注視していきたく思います。

日本は「みんなで楽しく働く文化」を世界に広げよう

ホンダには「ワイガヤ」という言葉があるそうです。世界の工場どこでも「ワイガヤ」というと聞きました。それは何かというと、ワイワイガヤガヤのこと。つまり「みんなで楽しく話し合う」ことです。みんなで楽しくやれるというのはなによりもいいことだと、海外の工場労働者に大変歓迎されているそうです。これは戦後日本のとくに製造業が作り出した社内制度の真髄かもしれません。まず現場労働者に高い賃金、そして一人ではなく、みんなで楽しく働くということ。アメリカはジャズやハリウッド映画などで「みんなで楽しく遊ぶ文化」を広げたといっていいかもしれません。

いま日本人が世界に広げている(広げるべきな)のは「みんなで楽しく働く文化」であり、これが日本の最大の貢献だと思います。私達はこの文化を世界に広める手伝いをもっとしていきたいと思います。

多様な世界と一様な世界

最近「茶色の朝」という本を読みました。前のフランス大統領選挙で極右政党ルペン候補とシラク氏が一騎打ちになった際に発刊され、ベストセラーとなって大統領選に大きな影響を与えたといわれています。内容は、ある日茶色の犬しか飼ってはいけないという法律ができ、主人公や市民は違和感を感じながらも次第に慣れてしまう、そして猫も、新聞も茶色になっていく、そしてある日・・・というストーリーですが、人間(大衆)の心理を見事に描いています。

世界がますます一体化する中、自分たちのアイデンティティを確認するために次第に民族主義、愛国主義が各地で盛り上がり、ひいては排外主義につながるケースも増えてくるでしょう。WIPは非力であっても、多様な世界を創るため、多言語・多文化を標榜し事業から世界を変える志を持ち続けたいと思います。「あいつらは何を考えているかわからない」という悲しい状況を解決できる重要なキーは、私達の仕事、「ことば」です。

熊のニュース

熊が人里に降りてくるニュースが増えました。小学生の頃、よく山中に山菜を採りに行きました。その際必ず鈴かラジオをぶら下げました。熊避けです。母熊と小熊の間にうっかり入ると危ないと聞かされました。それと、林業の衰退から間伐することがなくなり、森の中に光が入らなくなっている(→果実のなる低木が育たない)らしいですね。

見えないものを見る

クイズです。前を歩いている女性。後姿しか見えないのに彼女が美人だと確信できる時があります。それはどんな時でしょう? それは通り過ぎる男性の視線から判断できる時です。自分では判断できないことでも他人の視線や行動で判断できる時があります。あなたの周りで同様のことはありませんか。他人=お客さまの視線を借りて、自分や自社の見えない部分を見てみましょう。

橋本左内先生墓参

10/9(土)に同郷の知人数名と東京・南千住(小塚原回向院)にある橋本左内の墓をお参りしました。橋本左内とは安政の大獄で刑死した越前藩の志士です。彼が15歳の時に自分のために書き記した「啓発録」を墓参の後に皆で読みました。内容は「幼稚な心を捨てる」「気を奮い起こす」「志を立てる」「優れた人々の善事善行にならう」「友達をえらぶ」の5か条からなっていて、少年の気高い志を感じます。はたして私は、家庭や学校や職場で、周囲の人々に真心と愛情を持ってつきあい、自分のしなければならない仕事には誠実に立ち向かって全力を尽くす気構えを持っているか、と問われると赤面せざるを得ませんが、少しでもその純真な志を忘れないでおきたいと思いました。

イチローの新記録達成に際して

二つのことを感じました。一つ目は、当たり前のことですが、注目される才能は「時代」と「地域」によって大きく変わるということです。人類が狩猟生活をしていた頃は狩の達人、武士の時代は刀剣や弓の使い手、平安貴族に生まれていたら短歌や詩の即興名人が賞賛されていたことでしょう。アラスカやサバンナに住んでいたら遠くまで見渡せる視力が、ジャングルに住んでいたら嗅覚や聴力が、砂漠に住んでいたら水を見つける才能が注目されるということです。勿論、イチローの偉業は賞賛されるべきですが、彼が100年前に生まれていたら野球という才能発揮の場に出会えず何の注目もされなかったかもしれません。また、今回の偉業も日米以外の地域にとってはさほど注目を集めるニュースではないかもしれません。つまり、時代、流行、地域に偶々マッチした才能が注目されるという当たり前の事実を思い起こし、私達一人一人の中に必ず眠っている隠れた才能に目を向けることこそ大切です。

二つ目は、イチローの「僕はメジャーの中でも小柄な方です。それでもこのような記録が作れた。自分で限界を作らなければ、いろんなことが可能なんだということを日本だけでなく、アメリカの子供たちにも伝えたかった」というコメントです。私も「普通の人なのにあんなことをやり遂げた、よし私も頑張ろう」「あんなに障害があったのに乗り越えた、よし僕もやるぞ」と子供たちが頑張れる、そういう生涯こそ素晴らしいと思いますし、遺せたらと願っています。

韓流ブーム

現代は力のある人に価値が置かれる時代ですが、純粋な人にもっとライトをあてたかった・・こんな趣旨のコメントを「冬のソナタ」ユンソクホ監督がしていました。今、人気の韓国ドラマ。韓国ドラマには方程式があるようで・・「1:出生の秘密、2:交通事故、3:難病・不治の病、4:四画関係、5:複雑な親子関係」がその共通点とのこと。こうした非日常性に人は惹かれるのかもしれません。

ただ、今回のヒットの背景には、冒頭のユンソクホ監督のコメントのように、純粋な人や心が軽視されがちな現代にあって、そうした純粋さこそが潜在的に渇望されている時代だと思います。私も「冬のソナタ」にはまった口ですが、私の中の「純粋さを求める心」がドラマに向かわせたのではないでしょうか(爆!)

相手の気をそらすようなことしていませんか?

ある若くてハンサムな政治家はどこでも女性に大人気。しかし、あるところで演説を行ったところ、聴衆から何の反応もありませんでした。なぜだと思いますか? 演説後、理由を尋ねる彼に一人の女性の参加者はこう答えました、「ネクタイがゆがんでいたから・・・」。 

私たちはえてして、ちょっと気になることがあると大切な部分に心が向きません。営業のときにこの政治家と同じことをしていませんか?顧客対応や納品物の中で、お客さんの気をそらすようなことはしていませんか?これが大事と思ってやっていることでも、相手(お客さん)は別の些細なところ、意外なところに目を向けて「早く直せばいいのに・・・」と思っていることがあるかもしれません。お互い注意しましょう。

あなたの周囲のカルカッタ

「死を待つ人の家」を設立したマザーテレサは「誰の周囲にもカルカッタがある」と言います。物質的には満たされているのに居場所がなくて、自分は居ても居なくても同じなのではないだろうかと感じている人、その人に救いを差し伸べる働きをしてください、と繰り返し言っていたとのこと。家庭にも職場にもカルカッタはある・・・と。

今日は何人に微笑みかけたでしょうか?何人に短い言葉をかけたでしょうか?私たちの身近な「カルカッタ」はどこでしょう?自殺率が先進国最悪になった日本にあって、自分がまず簡単にできることから始めたいと思います。

少年の凶悪犯罪

少年の凶悪犯罪は本当に増えているのでしょうか?確かにこの10年を見ると増加傾向にあるようです。しかし、戦後の少年凶悪犯罪の数字を丹念に拾っていくと、「戦後最もキレやすい少年」グランプリ優勝は「昭和35年の17歳」に輝きます。昭和18年生まれ(平成16年現在61歳)の世代ということになります(私の母の世代です(苦笑))。テレビゲームやファーストフードがキレる原因だというのは、どうも根底が覆ってしまいます。

私たちはいつもマスコミが作り出す「空気」に惑わされがち。危機を煽っておいて解決策を提示する人たちにも注意する必要があるようです(笑)。

他人は自分の中にある

自分が「地球」だと想像してみましょう。地球上にある国々はそれぞれ自分の心の中の意識を代表していると想像してみましょう。例えば、米国は少し自己中心的だがフレンドリーでエネルギッシュで自由な部分、ロシアは少し内向的・権威的だが根は心優しい部分、ヨーロッパは少し貴族的でスノビッシュだが質を大事にする部分、インドは哲学的で求道的な部分を代表しているかもしれません。すると、これらは全て自分の心の中に潜んでいる意識であることに気付きます。

「他人は自分の鏡」という言葉は、実は「他人」の中に自分の中のある部分(意識)を見つけるという行為を示すのではないでしょうか。あの国(人)が嫌いとか憎いと思う心も同様に、自分の中に潜んでいる嫌いな部分を相手の中に見つけるために起こるのではないでしょうか。自分の中に潜んでいる意識というものに注目すると、世界で起きている反目(あなたの身近な人間関係も同じ)が少しでも減るのではないかな、と期待しています。あなたの好きな国、嫌いな国はどこですか?それは自分の心の中のどの意識を代表していると思いますか?

討論と対話は違う

「もっと理解しあえる世界をつくりたい」という文言に込めた思いは、9.11事件がきっかけです。このショッキングな事件を目にして、私達の仕事はまさに「相互理解」を進めるど真ん中の仕事、いや、そうでなければならないと思い直させられました。

社会学者のヤンケロビッチ氏は「The Magic of Dialogue」(邦訳:「人を動かす対話の魔術」)という著書の中で、「私は社会学者として、今日の人々が直面している問題は手遅れでも致命的でもなく、十分解決可能だと思う。問題は、拡大する<理解のギャップ>なのだ。現代社会では昔よりはるかに<わかり合うこと>が必要なのに、みんなで寄ってたかって障害物を置いているかのようだ。我々は徐々に離ればなれになっている。歴史上これほど相互理解が必要だった時代はないのに、ますます孤立感が深まっている。<理解のギャップ>の拡大は、今やまじめに取り組むべき社会的脅威といえよう」と相互理解の重要性を必死に訴えています。

また、そのための「対話」の必要性も説いています。「対話」を意味する「Dialogue」は、「di」=「2つ」から来ている言葉ではなく、「dia」=「~し通す、完全に~する」+「logos」=「言葉、意味」という意味です。さらに「対話」の前提ルールとして、わかり易く「討論」と比較しながら、以下を挙げています。

(討論) 正しい答えがあるはずだ、それは自分の答えだ
(対話) だれもがいいアイデアをもっているはず。それらをもちよれば、いい解決案が見出せるだろう

(討論) 戦闘的 相手が間違っていることを証明しようとする
(対話) 協力的 共通の理解をめざして協力する

(討論) 目的は勝つため
(対話) 目的は共通の基盤を探すため

(討論) 欠点を探し、反論を組み立てながら、相手の話を聞く
(対話) 理解しよう、意義を見出そう、同意しようと相手の話を聞く

(討論) むきになって自説の正しさを主張する
(対話) 再評価のために物事を良く知る機会だと思う

(討論) 相手の立場を批判
(対話) 全ての立場を再調査

(討論) 相手の見解に反対し、自説を主張する
(対話) 相手の考え方を取り入れれば自分の考えも改善できると認める

(討論) 相手の欠点と弱点を探す
(対話) 相手の強さと価値を探す

(討論) 自分の立場を是認するような結論または投票を求める
(対話) 打ち切りを求めず、新しい選択肢を見出す

私達は、「お互いを理解したい」といいながら、実は「討論」をしているのかもしれません。それは、自分の身の回りでも、社内でも、国レベルでも、外交レベルでも、あてはまるかもしれません。あなたは「討論」をしていますか?「対話」をしていますか?WIPは「対話」を推進しサポートする仕事をしていきたいと改めて思います。

紳士に効く決め台詞

ネクタイ売場でこれを言うとお客様は買うという決めゼリフがあるという。それは「とてもお似合いですよ」でなく「とても上品ですよ」だ。殿方はこの一言に弱いらしい(笑)。

無だからこそすばらしい!

取引をいただいているファーストリテイリング社(「ユニクロ」で有名)の柳井社長が面白い話をしています。同社はユニクロスタイルを食品(特に野菜)で展開しようとして失敗に終わりました。その理由を「カネがあり人材もいたからうまくいかなかった」と語っています。さらに「カネがない、ヒトがいない、モノがない、チャンスがないことは、事業を成功させる4大条件だと僕は思っています」と。

では「ないないづくし」のどこがいいのでしょう?最終的には、条件が揃いすぎると「智恵」「工夫」が生まれないからだと思います。WIPも、モノなし、ネタなし、カネなし、ノウハウなし、コネなしでスタートしましたが、そこにこそ「工夫」「智恵」が生まれる土壌があるのですね。条件が揃っていないことにこそ感謝すべき。個人でも、会社でも条件が揃っていないことに悲観などせず、今後もさらにお互い「智恵」と「工夫」で勝負をしていきたいと思います。

仕事は選べないが、仕事の仕方は選べる

先日のオリンピック男子マラソン。先頭を走っていたブラジル・リマ選手がある観客から走行妨害を受けました。でも彼は走るのを止めずにゴールまで完走しました。ブラジル国民の怒りも彼の完走とゴール後のさわやかなコメントで癒されたような気がします。この前代未聞の事件を観て「フィッシュ!」の下記メッセージを思い出します。 ・「自分にふりかかる出来事や事件は選べないが、態度は選ぶことができる」 ・「仕事は選べないが、仕事の仕方は選べる」

「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」を訪れて

「群盲、象を撫でる」という言葉があります。ある盲人は足を触って「象とは柱のようなものだ」と思い、ある盲人は鼻を触って「象とは細長いものだ」と思い、ある盲人は尻尾を触って「象とはむちのようなものだ」と思うという話です。今回、私たちは光のない世界で、同じ道を歩き、同じものに触れ、同じものを味わった訳ですが、それぞれ何がどのような配置にあり、どのような形と空間だったかとなると、各自の認識はバラバラです。光のある世界でかつ目の前で起きた出来事でさえ、観ている人によって認識に相違が生まれます(例えば、目の前の喧嘩を見ても、「あの人がはじめに殴った」とか「いや、けんかはしていない」など・・人によって証言が違う)。同じ1つのトピックについて話していると思っても、考えていることや「事実」と認識していることに違いがある、ということをもう一度念頭において、コミュニケーションをしなければと強く思いました。

地方らしさと高校野球

初の北海道出身校の高校野球優勝。アウトドアスポーツのインドア化の影響か。地域格差がなくなっているのは良い傾向だが、球児も越境入学するなど「人」の地域らしさも失われている。また練習設備等にかける「資金」格差も生まれているのではないか。地元出身者で占められ、部員も少なく、お金もない・・そんな高校が活躍し優勝する日はもうないのだろうか。

コミュニティ通訳について

2004年7月 朝日新聞記事「言葉の壁 コミュニティー通訳育成を」(千里金蘭大学助教授・水野氏)を題材に。 地域社会に暮らしていながら、その国の公的言語を解さない人たちに、司法・医療・教育・公的サービスなどへの平等なアクセスを保障する言葉の橋渡しを、世界では一般に「コミュニティー通訳」と呼びます。移民の多い米・豪・欧では国民生活に根付いたごく当たり前の概念で、国策として24時間体制の翻訳/通訳サービスを提供したり、翻訳者/通訳者認定制度を設けて「質」の確保を維持しています。今後中期的には、日本も多くの移民を受け入れざるを得ない状況になるでしょう。その流れの中で、私達のような言語を扱う組織がどう社会のお役に立てるのか、よく考え、皆さんと一緒に早目に手を打っていきたいと思います。

立場を変えると・・

夜に無灯火で自転車を運転している人が「街灯が明るいから平気だ」と主張したら、あなたはどう思いますか?本人にとって不要でも、歩行者や自動車運転の人には、自転車の存在を知るためにライトが必要です。世の中には自分に不必要なものでも、他人に必要なものがあります。立場を変えると気付く必要性。日頃の業務や生活で思い当たることはありませんか?

地域差と時間差

灯油のポリタンク。大阪は青だが、東京は赤。理由はわかりませんが、そうでないと売れないそうです。同じ商品のカップ麺も大阪と東京は塩分と味を微妙に変えています。ネスレのインスタントコーヒーは地域毎に味を変え、さらに年毎に味を微妙に変えています。つまり、顧客のニーズには「地域差」も「時間差」もあるということです。この「差」を意識して顧客対応に臨むことが大切です。

なんで?という問い

先般大阪で、実に面白い路上商売に出くわしました。その名は「なんで屋」。「みんなの『なんで?』に答えます。」という謳い文句で、若い店主がその場でお題を出されるのを待っているんです。一題300円(+満足料)とのこと。若い人達が何人か話し込んでいました。あいにく急いでいたので注文のお題を出すことはできなかったのですが、感心しました。

私達も日常の仕事上で「なんで?」と考えることは大切です。「なんでこのプロセスがあるんだろう?」「なんでミスしたんだろう?」「なんで発注してくれたんだろう?」等々・・・。漫然と仕事をしてはいけない、とその若い店主に諭された気がしました。

元気になる言葉

私は、ある言葉が日報に現れるようにしています。それは「うれしい・楽しい・幸せ・愛してる・大好き・ありがとう・ついてる」という言葉たちです。自分にパワーを与えてくれます。あなたは魔法の言葉を持っていますか?

信頼とは連絡すること

「信頼」=「連絡」 お客様との信頼関係は、連絡することによって生まれる。プライベートでも、疎遠になっている親戚、友人に連絡してみてはどうか。

「天才とは1%のひらめきと99%の努力」の誤解

エジソンの有名な「天才とは1%のひらめきと99%の努力」という言葉。実は、エジソンの意図は違うところにありました。新聞記者の「これまでのあなたの発明の中で、最もすばらしいひらめきの結果は何でしたか?」という質問に、彼はこう答えたのです。

「それは赤ん坊の頭脳の中に天才を見出したことだ。生まれたての頭脳ほど『リトルピープル』にとって棲み易い場所はない。つまり、年が若いほど自分の脳に宿っているリトルピープルの声に素直に耳を傾けることができるのである。大人になってからでは至難の業になるが、それでも何とか1%のひらめきと99%の努力があれば不可能ではない」と。

自分の数々の発明は自分の頭の中のリトルピープルの声を聞くことができたおかげだと、エジソンは晩年に述べています。あなたの心の中にリトルピープル(小人)はいますか?耳を傾けていますか?

翻訳にも「層(レベル)」がある

文章にはいくつかのレベル(層)があり、「単語→文→段落→章」とかたまりが大きくなる。通常の翻訳では、一センテンス内の単語の置き換え(並び替え)による翻訳作業のみで終わっている。が、実は、「文」の置き換えはどうか、「段落」はどうか、「章」はどうか、という観点がすっぽり抜け落ちている。(現実には顧客の予算上の制約から難しい・・が)

翻訳/通訳とは、著述・スピーチを代行する作業である

ディベートの効用

最近、大学生6-7名とディベートイベントの準備をしていますが、議論のルールを理解する上で私にとって大変勉強になっています。ディベートの構造は後述の通りとなっています。特に面白い点は二つ。

一つは、相手が反論しやすいように(←これが重要!)自分の「『主張』『理由』『根拠』」をわかりやすく述べることです。要は、お互いかみ合うように議論しましょう、ということです。

二つ目は、自分の考えと必ずしも同じ立場に立って議論するわけではないということ。つまり、自分の考えと違う立場で議論することがあるため、さまざまな立場になって客観的に自分の考えを見つめることができる点です。議論が必ずしも正解を生むとは限りませんが、視点をなるべくたくさん出し合うことは最適な解を見つけようとする場合に有益です。

コミュニケーションの限界と抵抗力

佐世保でぞっとする事件がありました。加害者と被害者のホームページ(もう消されていますが)のプリントアウトを読みました。加害者はバトルロワイヤルそっくりの小説をホームページ上に書いていました。言葉遣いや文章はほとんど大人です。この事件から改めて感じるのは、一つは、オンライン(特にメール)上のコミュニケーションは、表情やニュアンスが伝わらないだけに、普通の会話と同じようにしていてはいけない、非常に気をつけなければいけないということ。実際、大人もあちこちのメーリングリスト上で喧嘩しています。そして、二つ目は、自分が相手からどのように思われているか、特に悪評に対して抵抗力が必要だということ。子供達が大事に育てられれば育てられるほど、悪口や悪態に対する抵抗力が失われる気がします。

カルメン!

明日はビゼー(作曲家)の逝去日ということもあり、追悼の意味で「カルメン」を採り上げたいと思います。ご存知かと思いますが、あらすじ(詳細は後述)を復習しますと・・タバコ工場で働くジプシー「カルメン」、兵隊「ドンホセ」、闘牛士「エスカミーリョ」の三人を中心に展開されます。カルメンは当初、ドンホセに恋します。許婚がいた真面目なドンホセでしたが、ついにはカルメンに夢中になっていきます。その後、カルメンはエスカミーリョに心移りし、再びやり直そうと言うドンホセの言葉を冷たく否定したために、逆上したホセに刺し殺されてしまうという物語です。三角関係のもつれというシンプルな捉え方もできますが、カルメンはドンホセのことが最後まで好きだったような気がします。なぜならカルメン自身が占いで自分とドンホセが死んでしまうということを知っていたこと、闘牛士と付き合う間もドンホセの指輪をはめ続けていたこと、などなど・・どうでしょう?女性の方、違います?(笑)

本当のダイナミズム

生命40億年の歴史をたどりながら私達の生き方と未来を探ろうという主旨で行われた「生命誌の世界」と題されたNHK人間講座(1999年・講師:中村桂子さん)。読んでなるほど・・と思ったところがあります。それは中村さんが7つにまとめた全ての生き物の特徴です。

・多様だが共通、共通だが多様 ・安定だが変化し、変化するが安定 ・巧妙、精密だが、遊びがある ・偶然が必然となり、必然の中に偶然がある ・合理的だがムダがある ・精巧な設計図は積み上げ方式で作られる ・正常と異常に明確な境はない・・・ 

矛盾する概念が並んでいますが、だからこそダイナミズムが保たれている、「矛盾に満ちたダイナミズム」こそ生き物を生き物らしくしているんだという主張です。これは40億年続いてきた生物が持つ、生き残るための戦略かもしれません。そう考えますと、会社という組織にも、各個人にも、「矛盾」を否定せず、「矛盾」を抱え込みながらそのバランスをエネルギーに変えていく考え方と行動が求められている気がします。

青春はすばらしい!

最近、映画「ウォーターボーイズ」を観て感動した。高校最後の夏休みにシンクロナイズドスイミングをするはめになった男子高校生が、いつの間にかシンクロに打ち込み、友情を深め、大成功を収めるストーリーだ。自分の青春を思い出し「やっぱり若いっていいなー!」って、純粋に涙がこぼれた。青春を語ること自体、すでに青春時代にないことを物語っているのかもしれないが、「青春」とは心のありようだと改めて思う。(以前紹介した)サミュエル・ウルマンの詩に「青春」があるが、改めて味読したい。

「青春」 サミュエル・ウルマン <松永安左エ門訳>

青春とは人生の或(あ)る期間を言うのではなく心の様相を言うのだ。逞(たくま)しき意志、優れた創造力、炎ゆる情熱、怯懦(きょうだ)を却(しりぞ)ける勇猛心、安易を振り捨てる冒険心、こういう様相を青春と言うのだ。

年を重ねただけで人は老いない。理想を失う時に初めて老いがくる。歳月は皮膚のしわを増すが、情熱を失う時に精神はしぼむ。苦悶や狐疑(こぎ)や、不安、恐怖、失望、こういうものこそ恰(あたか)も長年月の如く人を老いさせ、精気ある魂をも芥(かい)に帰せしめてしまう。

年は七〇であろうと、一六であろうと、その胸に抱き得るものは何か。曰(いわ)く、驚異ヘの愛慕心、空にきらめく星晨(せいしん)、その輝きにも似たる事物や思想に対する欽仰(きんぎょう)、事に処する剛毅(ごおき)な挑戦、小児の如く求めて止まぬ探求心、人生への歓喜と興味。

人は信念と共に若く 疑惑と共に老ゆる。
人は自信と共に若く 恐怖と共に老ゆる。
希望ある限り若く 失望と共に老い朽ちる。

無人市にある相互信頼

野菜や果物と集金箱だけが置いてある無人の店(「無人市」)は言葉が介在しない商売。売る側と買う側の信頼が基礎にある。最近、急速に日本で無人市がなくなっている。悲しい現実だ。

日本で成功すればどこでも成功できる!

「ここで成功すれば、どこでも成功できる」というフレーズ。映画(ミュージカル)「踊る大紐育(ニューヨーク)」の中で登場しますが、この「ニューヨーク」を「東京」に置き換え、「日本」に置き換えてもいいと思います。アメリカンエキスプレスの社長は「質へのこだわりが強い日本で、顧客が求めるサービスを提供することに成功すれば、世界のどこでも成功できる」と述べています。WIPは日本のお客様の世界進出を自信を持ってお手伝いしたいと思います。そしてWIP自身も、質に対して完璧さを求める日本で成功し、世界で成功したいという気概で頑張りたい。「東京で成功すればどこでも成功する!」「日本で成功すればどこでも成功する!」と一緒に踊りながら叫びませんか(笑)。

老子と戦争

「力(パワー)の政治・経営など不要。武器はどうしようもない時に最小限に用いるもの。戦いに勝っても多くの人を殺したことを悲しんで泣くのだ。勝利は葬儀の礼によってすべきものなのだ=A victory should be celebrated with the funeral rite. 」という老子の言葉をイラク戦争を目にして味読したい。

武士道のすすめ

最近ある人から「ひげをつけたら5千円札の新渡戸稲造そっくり」と言われました。見え見えのお世辞とわかっていながら実にうれしくて舞い上がってしまいました(笑)。というのは、英国留学中に何度も読み返していた本が新渡戸博士の「武士道」(1899年米国にて刊行)で、彼が今の私の年齢で書き上げた本なのです。彼が「武士道」を書こうと思ったその端緒は、ベルギーの法学者に「日本に宗教教育がないのはとうてい理解できない。そんなことで、日本人はいったいどのように子孫に道徳を伝えていけるのか」と問われたことが心に傷のようにひっかかっていたためでした。刊行当時「日本とは何か」を米国に伝えると同時に、西洋で失われつつあった「騎士道」に相通じるとして、ルーズベルト大統領が買い求めて息子に配ったと伝えられています。改めて先達(国際的日本人)の偉大さを思い知らされます。

ハインリッヒの法則

「ハインリッヒの法則(1:29:300)」(以前高木さんが「失敗学」で紹介)によれば、重大災害を1とすると、軽傷の事故が29、そして無傷災害は300になるというもの。必ず重大事故が起きる前に予兆としての軽い事故が起きている。森ビルの回転ドア死亡事故もこの例に漏れず。

喧嘩とスポーツ

「昔は勝ち負けを決めるのに、石を投げ合って喧嘩したもの。今の子供は野球のようなスポーツがあって利口になった」と笑うお爺さん。今年はオリンピックイヤーですが、スポーツで勝ち負けを決めるほうが、戦争で勝ち負けを決めるよりどれだけ安くて平和かわかりません。オリンピック競技でおおいに「戦争」したらいかがでしょう?

外国人のおもてなし

私も外国人のもてなしには大失敗したことがある。もてなしの成功/不成功は、もてなしを受ける側がどれだけの「異文化に対するキャパシティ」(好奇心?冒険心?)を持っているか、にも左右される。

語学の達人シリーズ~「斎藤秀三郎」

彼は英語ネイティブが舌を巻くほどの英語の天才。日常書く手紙はすべて英語、酔っ払って帝劇にいき西洋人の芝居を見て、「てめい達の英語はなっちゃいない」と英語でどなりちらしたというエピソードも残っている。

語学の達人シリーズ~「シュリーマン」

彼の夢はトロイ遺跡を発掘することでした。彼はそのために事業でそのお金を稼ごうと決心しました。極貧の身であった彼の武器となったのは語学習得力でした。彼の自伝「古代への情熱」(角川文庫)は前半部分でよいので機会があればぜひ読んでみてください。彼は夜な夜な大声で外国語を読むものですから同じアパートの住人にとってはいい迷惑だったそうです。面白いですよ・・

名物も一人の創意工夫から

最近密やかにニンマリしたことがあります(微笑)。それは福井の「郷土料理」であるソースカツ丼がコンビニ(AMPM)で「北陸の味」としてデビューしたことです。学生(高校)時代、私を含む男子生徒の学食超人気メニューがソースカツ丼。早く行かないとあっという間に食券が売り切れてしまう人気ぶりでした。元々この料理は欧州で料理修業した福井人が大正2年に東京で発表、「ヨーロッパ軒」というレストランを開いて広めたのが端緒となっています。その後関東大震災により郷里福井に戻り福井ヨーロッパ軒を誕生させてこの料理を広めました。このように郷土料理(名物)と呼ばれるものの多くは、実はある一人の人間の創意工夫によって作られたものがスタートとなっています。これは料理に限りません。私たちも創意工夫で日本そして世界に流行るものを作りたいですね!

得する間違いも×

コンビニでおつりを間違えられたことありますか?おつりが少ない時、そして多い時にどう感じるでしょう?私が子供の頃、おつりが少なかった時、多かった時、いずれもその場で店員さんに言えなかったことがありました。そして後になって、多かったこと(つまり表面的には「得した」時)が非常に心の負担になって、返しに行った思い出があります。つまり、相手が損する間違いは当然ながら、相手が得する間違いも相手に心の負担を負わせているということなのだろうと思います。間違いをなくすることは、相手に無駄な心遣いをさせないということ。改めて気をつけたいと思います。

人が求めるものを早く形にしたい

製品・サービスが現れるから人々がそれを欲しいと思うのではないと思う。時代をつくったように見える企業や時代をリードした人は、その時々の人々が潜在的に求めているものを誰よりも早く形にしているだけではないだろうか。「はっきりと言葉や形で言い表せないが、あったらいいなと思うもの」、これをつかんで形にできる企業は人々を感動させる。

桜と寿命

桜が咲く季節になってきました。老人じみた言い方ですが(笑)、あと何回桜を見ることができるのでしょう。平均的な寿命から考えると、私は40回ぐらい。あなたは何回でしょう?そう考えると桜がとてもいとおしく感じられます。今年の桜は静かにじっくり観たいと思います。

すばらしい生涯

NHKアーカイブス・アンコール「桜紀行~名金線もう一つの旅~」を観て。名古屋と金沢間に「名金線」という日本一長い路線バス(国鉄)があった。そのバスの車掌を務めていた佐藤良二さん(故人)は、沿道に30万本の桜を植え、太平洋と日本海を結ぶ桜の道を作ろうと考えた。そのきっかけは、沿線の御母衣(みほろ)ダムの底に沈んだ村から移植された桜の古木だった。この桜がたくましく生き続け見事に開花した姿と、その桜を水没村の形見として大切にする村人を見て、佐藤さんは心を揺さぶられた。そして佐藤さんの挑戦が始まった。桜の苗木を我が子のように一本一本育て沿線に植えていった。30万本には遥かに及ばなかったが、今では大きな桜の木となって道行く人の目を楽しませている。すばらしい生涯だと思う。

「浮気」していますか(笑)?

男女のそれではありません。モノを購入する際「浮気」しているか否かです。私はこの点ではかなりの浮気性ですが(笑)、私の知人に、モノを買うときは何かと「この人から買う」と決めている人がいます。モノより人を大切にすることで縁を広げるタイプの人です。私たちは、「売る人」の立場の時は浮気する顧客に腹を立て、「買う人」の立場の時はあまり浮気することに何も感じていません。買う人の立場から売り方を考え、売る人の立場から買い方を常に考えることができればと思います。

本当の時間

38歳の自分にとって1年の長さは38分の1。10歳の時の1年は10分の1。幼い頃の時間の進みは今よりもっと遅かった気がする。自分の時間感覚こそ真実ではないだろうか。

まさかという坂

人生には3つの坂があるという。「上り坂」「下り坂」「まさか」だ。「まさか」という坂に備える人は確かに少ない。

人はかくも忘れやすい

SARSが発生して約1年が過ぎたが、東南アジア旅行に対する抵抗感が薄れている。国内で狂牛病が発生して約2年が過ぎたが、牛肉消費に対する抵抗感も薄れてしまった(最近は米国の狂牛病で牛丼ストップに列をなしているニュースが流れていた)。いい意味でも悪い意味でも、いやはや人間(私も含めて)とはかくも忘れやすくできているなぁと実感する。

独自の個性こそ一流の証

「グレンミラー物語」という映画を観た。「ムーンライトセレナーデ」など数々の名編曲で一世を風靡した主人公と楽団の実話である。彼は若い頃質屋通いの苦労の毎日だったが、従来にない自分だけのサウンドを作り上げることが夢だった。しかしトロンボーン奏者として普通の楽団に通い給与の良い毎日に慣れてしまう。しかし、妻から夢をあきらめるなと言われ、友人たちと自分の楽団を編成するために再度チャレンジしようと決意する。が、なかなかうまくいかず、不運もあっていったん楽団解散まで追い込まれ無一文になる。しかし、再度楽団編成のチャンスを与えられ奮闘する。が、今度は公演前夜に重要なトランペットプレイヤーが怪我をしてしまう。そこで苦肉の策としてクラリネットにリードさせることを思いつき、それが喝采を浴びる結果に。そして彼独自のサウンドが生まれ米国レコード界の首位をとるまでに成功した。彼は第二次大戦で欧州慰問の際、飛行機と共に大西洋上に消えてしまうが、彼のサウンドはその後も生き続けている。独自の個性こそ一流の証であることを再認識させてくれる素晴らしい作品だ。

ワクワクを売る宝石店

ニューヨーク五番街にハリーウィンストンという極上の宝石を扱う有名店がある。この店の売り方がおもしろい。店頭や陳列棚にダイヤはなく、まず、会社の歴史の説明を長々とされる。その後、ダイアモンドの原石を前に透明度やカラット等の説明も聞かされ、最後に予算を尋ねられる。客は「二週間後にご来店ください」といわれ、二週間後に再来店した際には、予算ぴったりのダイアモンドが用意されているという売り方だ。客のワクワク感も同時に売っている感じがする。私たちも眼に見えないものを売る立場として、納品までの期間、クライアントをワクワクさせたいものだ。

5次元の世界

5次元の世界のお話。ホーキング博士によると宇宙には11次元が存在するという。皆さんは5次元の世界が想像できますか?5次元の世界には「もし・・」(あの時こうしていれば・・こうなっていたであろう)という世界らしい。「もしも・・・」の分岐の数だけ、自分が存在しているという世界だ。人というのは、その分岐した先の自分全部を内包しているものなのではないか。その全てを想像すると「人間」とは複雑なものだなと思う。正反対のことを同時に考えていたり、脳裏で考えていることと違うことを言ったりする。また、その言葉もその中のほんの一部だったりする。だから、言葉だけでは不十分なケースがたくさんある。摩訶不思議なり・・

製造業と農業の類似

製造業はかつて農業が歩んだ道を辿っているように思う。農業は、20世紀の初めには労働人口の中で最大だったが、今日ではあらゆる先進国で3%以下になり、国内総生産の内訳としても最大だったが、2000年には2%以下(アメリカ)となった。今日の農業生産は1920年の4倍に達し、農産物の価格は下落。欧州ではあらゆる国が売るあてのない大量の余剰生産物を抱えている。

製造業に目を向けると、20世紀半ば、労働人口の中で最大になった製造業だが、現在では15%に減少、2020年には10%に縮小していると予測されている。1960年から1999年の40年間に製造業の生産量は3倍近くになり、製造業製品の実質価格は40%下落。先進国の多くが売れない大量の製造物であふれかえっている。一方、この間第3次産業は伸び、特に知識産業サービスの実質価格は3倍も上昇した。日本はモノづくりの国でいいのだろうか。世界に輸出できるような第3次産業を持たない日本をもっとサポートできればという思いと、(おこがましいが)その日本の知識産業サービスをリードするぐらいの気概を持ちたい。

信号を守るな

子供が事故に遭う大きな理由は「信号を守る」ためだといわれる。大人は「信号を守らなければならない」とだけ教えているから、子供は車を見ずに信号が青になると飛び出す。しかし、信号を守るのは「手段」にすぎない。事故に遭わないことこそ「目的」だ。大切なのは車が止まっているかどうかを確認すること。大人は、信号を守るという手段だけでなく、車を見ることこそ大切だと教えなければならない。信号という手段が便利で信頼性が高いほど、いつのまにか信号を守るという手段が目的化する。これは単に信号のことだけではないと思う。会社内や社会のルールも同じ。今一度身の周りに同様のことがないか確かめたい。

破壊と再生

週末に大学時代の先輩と皇居の周り(約5km)を走った。筋肉痛で足が痛いが、筋肉痛は新しい筋肉組織ができるときの痛みだ。日本人は遺伝的に筋組織が西欧人に比べ太くなりにくい。しかしスピードスケートの清水宏保選手は、それを克服しようと自分の筋肉の破壊と再生を何度も繰り返し、激痛に耐え、鍛えたい部位の筋肉に意識を集中することで、自己の肉体を作り上げるという。肉体のみならず、精神、頭脳(集中力)を意識した彼のスタンスを見習いたい。

価値を統合する

昨日、知人から「価値統合家」として会社を立ち上げたというメールを受けとった。私たちが担っている業務も「価値を統合し編集する仕事」だ。一流のシェフは、色々な素材を見つけ、様々なスパイスを加え、多様な調理法によって美味しい料理を作り上げる。私たちも、色々な人材(素材)を見つけ、様々な情報とともに、多様な提案方法によって、最適で美味しいソリューションを作り上げ、お客様に舌鼓を打たせる、そんな「シェフ」になろう。

運が強い人

休日に近くにある東郷公園を散策した。そこは東郷平八郎氏(元帥)の屋敷跡だったという。氏が日露戦争時の連合艦隊司令長官に推薦された理由が「彼は運の強い男です」というのは有名な話。実際、彼は強運にも日露戦争(日本海海戦)で完全勝利を収めた。さて「運」とは何なのだろう。確かなのは、「私は運が悪い」と言う人は大抵失敗や逆境を人や周りのせいにする傾向があるということだ。逆に「運」が強い人はそうした傾向がないように思われる。お互い「運」が強いと思える行動をしたいものだ。

沈黙は悪

「紳士協定」という映画を観た。「反ユダヤ主義に沈黙することは同意しているも同じ。声なきNice Peopleが一番(差別・偏見を)サポートしている」という映画のメッセージに考えさせられた。実社会でも「いけないと思ってはいるが口に出さないこと」が差別や偏見を助長している場合がある。私たち自身にも同じようなことはないだろうか?

国益とは

映画「スパイゾルゲ」(監督:篠田正浩)を観た。歴史上数多いスパイ事件でもその影響力は空前絶後といわれるゾルゲ事件*をテーマにした映画である。事件の概要は知っていたが、ゾルゲと尾崎秀実に対する見方が少し変わった。ふたりは、国を問わずただ貧しく戦争に疲れた民衆を救いたいという理想と夢を持っていた。しかし結果的にゾルゲはソ連からも見放され日本国内で処刑された。はたして「国益」とはいったい何なのか、改めて考えさせられる。

モノへの愛情

心優しい彩花ちゃん(神戸須磨児童連続殺傷事件の少年Aによる一人目の犠牲者。当時10歳)のお話。生前の彩花ちゃんの机の上には運動靴の絵が飾られていた。そこには「いつも私を運んでくれてありがとう。どんなにか重いでしょうね」というメッセージが添えられていたという。また或る日、彩花ちゃんは道端に落ちていた手袋を拾って交番に届けた。「道で手袋が寂しそうにしている。放っておいたら人に踏まれるといけないので」と。稀有になりがちな「もの」に対する愛情の気持ちをいつも持っていたい。

文化習俗に含まれる精神性

鏡餅にみかんを飾り元日を迎えた。「鏡餅(かがみもち)」は「飾り餅(かざりもち)」からきており、昔の日本人は携帯食として餅を持って歩き(「持ちいひ」→「もち」という)サンドウィッチのようにはさんで食したらしい。その他、正月には注連縄、門松、初詣、絵馬などさまざまな風物が見られる。しかし最近こうした風習が少しずつ失われているような気がする。昔ながらの習俗を無条件に良いというつもりはないが、大昔から綿々と続いてきたこうした文化習俗が薄れつつある今、改めて、その深い精神性や知恵が多分に含まれていることに各々思いを馳せてみてはいかがだろうか。

「やる前からあきらめる奴は一番つまらん人間だ」

プロジェクトX「南極 未踏の大地へ日本人が燃えた880日」を観た。南極観測船「宗谷」は、1956年(昭和31年)、 第1次観測隊51名を乗せて南極に向け出航した。幾多の苦難の末、南極に到着した観測隊のうち、副隊長の西堀栄三郎氏は現地に残り、直ちに研究を始めることを主張。協議の結果、10名が残ることとなる。そのメンバーの一人に北村青年がいた。西堀氏以外のメンバーは当初何の研究をしたものか自信もなく迷っていた。「やる前からあきらめる奴は一番つまらん人間だ」という西堀氏の言葉に励まされ、彼も思案の結果オーロラの観測をすることにした。全くの素人の彼であったが、毎日コツコツと観測を始めた。ある日、彼の不注意より小屋が火事になる。「やはり私はだめなやつだ・・・」とめげる彼は、数日後、西堀氏に呼び出され意外なものを受け取る。それは西堀氏の手製のオーロラ観測用望遠鏡であった。叱られると思っていた彼は、西堀氏の無言の激励に感動し、研究に打ち込むようになった。その後、彼はオーロラ研究の世界的な権威になり、東大教授になったという。西堀氏の優しい心とそれに応えた北村氏の「素人でもここまでできるんだ」という人生に感動した。

2004年の干支について

今年は申年。「申」という字は電光が落ちてくる様を表しているそうだ。今年はWIPにとって飛躍の年となるだろう。個人的にも、電光石火のごとく猿のごとく、機敏に賢く行動したい。また、日光東照宮にもある三猿「見ざる、聞かざる、言わざる」は人の非や過ちを見たり、言ったり、聞いたりしないというのが本来の意味。今年はこの戒めに気をつけたい。

ほんとうの智慧

ある小学校に白血病の女の子がいた。手術の関係でその子は髪を短くしなければならなかった。クラスの学友たちはスカーフを頭に巻いて登校した彼女のスカーフを奪いとり、坊主頭の彼女をからかい大笑いした。彼女は泣きながら下校した。もし、あなたが担任だったら、どういう行動にでますか? そのクラスの女性の担任は、翌朝、髪を短く切りスカーフを巻いて何事もなかったかのように登校した。クラスの子供たちは先生のことが好きだったので、早速自分たちも髪を短くし、みんなで大笑いしあったという心温まるお話。智慧とはこういうものなのだなあ。

思いは伝えないと通じない

街で一番の美女と評判の高い女性が、街で一番さえない男性と結婚した。街の人々はびっくり。不思議に思い、彼女に理由をたずねてみると、彼女の答えは意外なものだった。それは何でしょう? それは「プロポーズしてきたのは、彼だけだったの・・」という答え。 街の男たちは、彼女を高嶺の花と考えて誰もアプローチしなかった結果だった。この話のポイントは、「思いは伝えないと通じない」「思いは実行しないと実現しない」ということだ。仕事の面においても同様。たとえば、日常の仕事の中でクライアントに対し遠慮せず「是非ご紹介ください」等といった「思い」を伝えることもその一つ。些細な積み上げが「夢」の実現へと導いてくれる。

来てみればさほどでもなし富士の山 釈迦や孔子もかくやあるらむ

長州の武士が詠んだ句に次のようなものがある。「来てみればさほどでもなし富士の山 釈迦や孔子もかくやあるらむ」(なんだ大したことないじゃないか、きっと釈迦や孔子が生きていたころに出会ったとしてもこんな気持ちなんじゃないか、という意味だろう)。あらゆる点でたいした奴、たいした会社というのはそんなにあるものではない。決して自分や自社を卑下することなく自信を持って歩む気概が大切だ。

また一方、「来てみればききしにまさる富士の山 釈迦や孔子もかくやあるらむ」という句もある。何事においてもその長所やすばらしい点を素直に感動できる姿勢も大切。結局は、この二つの句の狭間で、バランスある感じ方に取り組まれたい。

なぜ12月=0月ではないのか

以前から不思議に思っていたが、なぜ12月が最初の月(=0月)ではないのだろう?先般購入した腕時計の月表示も12月が真上部分に表示される。時間も12時=0時(=スタート)、NewYearも0:00をスタートとするなら、1月1日が1年のスタートではなく、12月1日(=0月1日)が1年の最初の月日ではなかろうか(笑)。

人生を戦い抜く

シャンソン歌手・美輪明宏氏の自伝「紫の履歴書」を読んだ。波乱万丈、壮絶な人生を力強く図太く生きてきた彼の姿勢と赤裸々な告白に脱帽した。少年期に母を亡くし、第二の母も亡くなった時、彼は弟たちを自分の手で育てる決意をする。長崎での被爆、上京後の幾重のどん底生活を乗り越え、弟たちを大学まで行かせる。世間から何と侮辱されようと、その間、彼は歌をひと時も忘れず、歌に精魂を傾けてきた。人生を戦い抜くとはこういうことなのだ。

つながりこそ生命の活力源

ボーリングは悪魔祓いの儀式だったという。世界には今でも悪魔祓いの儀式が残っているところがある。スリランカの悪魔祓いの儀式では、無気力になり仕事に行きたくない男性、登校拒否の少年、原因不明の病の人など色々な症状の人に対し、呪術師(シャーマン)が徹夜で大々的なパフォーマンスを施す。親戚や近所の人たちでごった返す中、最初は太鼓から始まり、夜明けころには漫才でみんなが大笑いをするような状態になる。そしていつの間にか患者も笑い体調が良くなっているという。シャーマンは「悪魔は孤独な人間に訪れる」と言う。今の世の中、孤独な人が溢れている。人と人のつながりが生命の活力源だということをもっと意識したい。

モノに対する慈しみ

チサトさんというとても世話好きな障害者の心温まる実話。彼女はとても世話好きでいつも先生のコップ(茶碗)を洗っていた。或る日、そのコップ(茶碗)を洗っている途中に割ってしまった。先生は咎めなかった。しかし、彼女は「コップさん、痛かったでしょうね、ごめんなさい」と独り言を言いながら、破片をひとつひとつ集めてぽろぽろと泣いていた。先生はその優しい気持ちに心を打たれた。私たちは生命あるものの死には涙することもあるが、「もの」に対する慈しみのこころは薄れがち。ものの「はたらき」を「いのち」と観ることができるのは、学問や知識を超えた智慧だ。私はこの純粋で優しい気持ちを忘れている気がする。

支えられていることへの感謝

その後チサトさんは養護学校に進学、そしてクリーニング店に就職した。初給与をもらった彼女はとても嬉しくて、あることをした。何をしたでしょう?彼女はそのお給料でテレフォンカードを作った。そこには「おかげさまで初給与をいただきました」という感謝のメッセージを入れた。そして、いままでお世話になった人、先生方、お友達にプレゼントした。周りの人やモノに支えられながら生きていることの感謝を素直にキチンと打算無く行うチサトさんに見習わなければと思う。

沈め、次に泳げ

失敗には、OKの失敗とNGの失敗の2種類ある。WIPでは全員に難しい仕事、責任の重い仕事を任せているが、失敗を恐れないで思い切りやってほしい。最近知ったマイクロソフトの社是に「沈め、次に泳げ」というものがある。同社では、沈むくらいの仕事を与えられ失敗し、それを自分で分析・修正し、次に「水に落とされた」ときに「泳げる」ようにする。その失敗は常に責められない。失敗を振り返って、自分を伸ばす糧にしてほしい。そういった意味が込められており、非常に共感した。単純なミスなど些細な失敗はNGだが、たとえNGのミスをしたとしても、人ではなくプロセスやシステムに注目して改善につながるようにしてほしい。

コントロールできるものとできないもの

信号待ちや電車待ちなどでイライラしている人を見かけることがある。私もその一人である(笑)。しかし、イライラしたところで電車や信号は早くならない。つまり、自分でコントロールできるものとできないものがある。自分でコントロールできないものにイライラすることほど無駄で愚かなことはない。変えられるのは自分の態度(対応)である。

ビジネスの世界はまだ甘い

日本女子バレーチームのオリンピック出場が危うくなっているが、以前、弱小チームだったシャンソン化粧品バスケット部が、メンタルトレーナー西田氏のトレーニングにより強豪チーム(V7達成)と豹変したことを思い出した。当時、西田氏が選手に「オリンピックに出場できると思うか」と質問すると「思う」と答えた選手は誰一人いなかった。西田氏は毎日選手に「君たちはオリンピックに出れるんだ」といい続け、結果、同チームは7連覇を達成する強豪チームとなり、シャンソン化粧品の選手を中心に念願のオリンピック出場を果たした。

西田氏いわく「スポーツの世界を見ると、野球では日本で200番目に実力がある人はプロで食べられない。ゴルフなら200番目に実力があってもトーナメントに出場できない。柔道や陸上水泳などの個人競技であれば、その種目で日本一にならないとオリンピックに選ばれない。しかし、ビジネスの世界では、日本で1000番目の人は大成功を収める。1万人、10万人目の人でもかなりの実力者とみなされる。あまりに簡単じゃないか。100万人200万人目のビジネスマンでさえ、プロとしてお金を稼いでしまう。そんな世界で成功できないとしたら、相当にだらしないビジネスマンだ!」と。西田氏に喝を入れられた気がする。

悔し涙、最近ありました?

ワールドカップバレー日本代表の栗原選手(19歳)の大活躍の裏には「悔し涙」の努力があったという。東京オリンピックで大活躍の「東洋の魔女」の練習方針も、当時の監督大松氏の方針というより、選手たちが「世界一になるためにはどういう練習をすればいいか」を話し合った結果、厳しい練習を自らに課したという。私にも「悔し涙」の経験があるが、ふと最近ではいつ涙したかなと考えさせられた。皆さんの悔し涙の経験は如何?

翻訳の意義と可能性

NHK心の時代「ケセン語で聖書を読む」を観て。ケセン語とは気仙沼の方言。宮城県気仙沼在住の山浦氏が聖書をもっと深く理解してもらいたいとの思いから、原書を丹念に、地元の人々にとって心に深く入ってくる言葉、ケセン語に翻訳した(例:「愛する」→「大事(でぇじ)にする」、「天国」→「取り仕切り」など)。老人たちは「初めて聖書が自分のものになったと感じた」と涙を流して感謝したらしい。こうしたことにこそ、翻訳の大切な意義と深い可能性がある。

終戦記念日を迎えて

第二次大戦は日独伊の枢軸国が世界から孤立して戦った、「民主主義の連合国」対「全体主義の枢軸国」の戦いであったというストーリーは戦勝国から与えられたもの。事実はそう単純ではない。欧州でもフィンランド、ハンガリー、ルーマニア、親独の仏ビシー政権などが枢軸国側に立ち、各国がそれぞれの立場、思惑から戦争に処した。戦争はあってはならないからこそ、私たちの父祖がどのような思いで戦争を迎え戦ったかについて想いを馳せる良い機会にしたい。大切なのは正しかったか悪かったかといった単純な二元論ではなく、いいことはいい、悪いことは悪いと、キチンと整理をつけて把握すること。それが国際的な日本人になるためのスタート地点ではないだろうか。

日常の不思議さ

オカルト、UFO、超常現象、精神世界といったものに不思議さやすごさを感じる人は多いが、身の周りの人や日常のささやかなことにすごさや美しさを感じる人は希有だ。

「満員バス 乗ってしまえば もう押すな」

立場が変われば意見もコロッと変わってしまう。

価値を引き出す

料理は食材の価値を100%引き出す事。我々の仕事は人の良さを100%引き出していいものを創る事。価値を編集する仕事だ。基本はまったく同じ。素晴らしい「シェフ」になっていこう。

笑顔

笑顔は案外つくらないと生まれてこないもの。

リサイクルに潜む環境破壊

リサイクルを推進するために新たなエネルギーを使い、その結果環境破壊に至るという悪循環があるのも事実。

創造と破壊

インドには破壊の神がいる。新しいものをつくるには破壊することが必要。同じことは、個人・社会においても言える。

与えられた枠と自由

鍵山氏講演の「与えられた枠内で」を題材に。「あの人はいつも30分遅れてくる」ということになると、1時間早く来るように言われるようになる。そんな風に自分に与えられた枠を超えて大きく使っていると、いつの間にか、与えられる条件は必ず厳しく小さくなってくるもの。逆に、枠に対して謙虚に接し行動する人には、自然と与えられる条件が易しく大きくなってくるものだ。お客様や他人から与えられた自由度に対して、常に謙虚であることが大切である。

「列車ダイヤの逆理」

地元の駅に列車発着をしてほしいと要請する住民に対して、ある鉄道会社が「駅を見たら誰も利用者がいない」ということを理由に要請を断ったという実話がある。サービスが不十分な結果として、住民はサービスを利用していない、と共に改善を要求する。しかし、サービス提供側は住民が利用していないことを理由に改善要求を拒否する、という構図である。馬鹿げた話だが、顧客の問合せや改善要求に対し、同じことを自分はやっていないだろうか。他山の石としたい。

民族毎のマジックナンバー

日本人には「3・5・7」、韓国人には「3・8」。説明する時、整理する時等、この数字は覚えておいて損はない。

言おうと思ったこととは何か

「言ったこと」をするだけでは顧客は満足しない。「言おうと思ったこと」までしないと顧客は満足しない。顧客にインタビューする際、顧客の「言おうと思ったこと」とは何か、欲しいと言う言葉のもっと奥深いところに何があるのか聞き出したい。

空間軸を大きく

ハッブル望遠鏡で撮った宇宙写真に関する仕事を請けたことがある。大阪からハッブル望遠鏡で東京を観察すると、5cm離れているホタル2匹の光を見分けることができる。宇宙は広大無辺だ。太陽と地球の距離を1mとすると、地球の大きさは0.1mm程度、地球と月の距離はわずか2~3mm、太陽と冥王星の距離は40m、太陽系に一番近い恒星との距離は260km(大阪~静岡・浜松間ぐらいか)、アンドロメダ星雲までの距離は地球4000周分だ。壮大な空間軸で現在の地球や自分を相対的に捉える視点はまたまた愉快。我々の地球は本当にはかない生命体。その上で生きる我々はもっとはかない。でも、大いに叫びたい。

「常識」

人は皆、自分の常識が正しいと信じるもの。

時間軸を大きく

宇宙の誕生が1年前だとすると、約4ヶ月前に地球ができて、約2ヶ月前に生命が生まれた。恐竜は1週間前に発生し一昨日絶滅した。北京原人やジャワ原人が登場するのは約15分前。農業が始まったのはたった15秒程度前である。壮大な時間軸で現在の社会や自分を相対的に捉える視点は愉快だ。我々の人生は「あ」と言う時間より短いだろうが、大いに叫びたい。

ミシュランは元々レストランガイド?

ミシュランはタイヤメーカー。顧客へのサービスの一つとしてレストランガイドを作り始めた。現在ではタイヤに増してガイドブックが有名だ。面白い。

生涯という最大遺物

私の人生に大きな影響を与えた内村鑑三著「後世への最大遺物」で、内村は「生涯を遺せ」という。その人の生涯を見て後世の人が元気付けられるような「生涯」、後世の人が私にも出来るかもしれないと頑張れる「生涯」である。逆境が大きければ大きいほど、その遺される「生涯」は大きな意味を持つ。逆境に感謝すべきという主張である。今日は彼の誕生日。改めて思い起こす良い機会としたい。

西郷隆盛や坂本竜馬は通訳者

江戸幕府が開かれてちょうど400年。江戸時代には350以上の藩があり、それぞれ文化が全く違った。違う藩の人同士では言葉も通じなかった。(因みに標準語が作られるのは明治時代。軍隊内でのコミュニケーションのため。) また、上方から江戸へ行くのに少なくとも1週間はかかった。今、世界中で行き着くのに1週間かかる国はない。江戸時代の人々にとって、当時の日本は現在の世界よりも大きかったのだ。日本地図を横にすると、北海道がアメリカ大陸、本州はユーラシア大陸、四国はオーストラリア、九州はアフリカに見え、世界地図の縮小版にも見える。こうした言葉も文化も違う幕末で、「日本」のために大活躍したのは西郷・坂本といった「通訳者」だ。彼らのおかげで明治の「日本」が出来た。いまだ戦争の絶えない世界にあって、言葉と文化をつなぐ通訳・翻訳の仕事はこれから極めて重要になってくるだろう。

自分が明日いなくなったら?

会社として、個人として、「自社(自分)が明日いなくなったら、顧客(周り)はどのくらい困るだろうか?どのくらい残念に思ってくれるだろうか?」と自問したい。存在意義、差別化を考える良い機会になる。

与えることの難しさ

援助に関し面白いエピソードを聞いた。ある日本人がインドの学校に文房具を寄付した時のこと。先生はその文房具をすぐに自分の机に入れてしまったらしい。独り占めするのかなと思っていたら、「あなたが未来永劫、文房具をご寄付下さるならいい。しかし一時のみ贅沢な文房具をもらっても却って子供たちはより貧しさを感じてしまう」と先生に言われショックだったという。WIPでも援助を行っているが、与えることの難しさ、本当の援助とは何かを改めて考えさせられる。

日本文化の深妙さ

浄瑠璃は人形の微妙な動きでさまざまな人間心理を表現するところが素晴らしい。また、見えているものを見えていないように振舞うという文化には日本特有の深妙さがある。

自然が与えてくれる感動

正月、伊良湖岬で見た初日の出に感動した。水平線の彼方からゆっくりと昇ってくる太陽の光。吸い込まれそうな力を感じ、時も忘れて見入った。そして、ふと国木田独歩の「日の出」という短編小説を思い出した。老人が絶望する青年に出会い、日の出を一緒に眺めながら力を与えるシーンである。自然が与えてくれる感動は生きるエネルギーを与えてくれる。

日本語を紹介する仕事

「翻訳は日本語という文化紹介の仕事である」という視点は卓見だ。「日本人には『日本』が欠けている」という広告コピーに最近出会ったが、仕事を通して改めて日本を理解する機会を増やされたい。

身の周りの変化から社会と世界を感じる

自分の仕事や案件、身の周りの変化を通して、社会や世界を見る独自の視点を作ることが大事。

なぜ働くのか?

自分の天分・本領を伸ばし、その伸ばした天分・本領で家族・友人・同僚・会社・社会に役に立ちたい。

温故知新

色々な解釈が可能だ。「温」は元々、「囚人に料理と水を差し出す」ことを表す漢字。そんな温かさで古きモノ・ヒトに思いを馳せれば自ずと新しきモノ・ヒトに出会う、と解釈してみたい。

西欧コンプレックス

ノーベル賞受賞式がようやく終了した。毎年同賞の受賞者が大きく採り上げられるが、アフリカ出身者で初めてノーベル文学賞を受賞したウォーレ・ショインカ氏のコメントが面白い。「私達アフリカ人がアフリカで新しい賞を作り、50年目に初めて白人にその賞を与えたとしたら、どのくらい話題になるでしょうか?アフリカで初めてのノーベル文学賞というのは、その程度のことだよ」。(私を含む)多くの日本人がノーベル賞に抱く気持ちには、今でも西欧コンプレックスが潜んでいるような気がしてならない。

道という日本文化

茶道もそうだが、日常的な行為を「道=自分(人間)を伸ばそう」と捉える日本文化は良い意味で面白い

「葉っぱのフレディ」という本には、葉っぱが散る理由として次の新しい芽(命)がひかえているからだとある。機会があれば一読をお薦めしたい。

フォームを大切にする

雀聖(麻雀の神様)と呼ばれた阿佐田哲也氏は数々の修羅場を掻い潜る中、常に「9勝6敗」を目標にしたという。その彼が大切にしていたものに「フォーム」というものがある。彼の説く「フォーム」とは、「これだけキチンと守っていればいつも6分4分で有利な条件をものにできる、そう自分が信じることができるもの」。プロはスランプでもフォームを変えない。プロは、6分4分のうち4分の不利が現れた時も平気。必ず有利な6分も現れるはずだと確信している。イチローでもヒットは3本に1本。当りが出ていないからといってフォームを変えないのがプロ。自分にとって、組織にとって「フォーム」とは何か、よく考えてみたい。

どちらの中華料理店?

中華料理店でビール・餃子・炒飯を頼んだとする。まめな中華料理店はビールが用意できたらまずビールを、餃子が出来たら餃子を持ってきてくれる。まめでない中華料理店はビール・餃子・炒飯全て揃うまで料理を運ばない。どちらがいいだろう?

橋本左内について

去る10月7日は福井出身の幕末の偉人、橋本左内が安政の大獄により26歳の若さで亡くなった日。左内は坂本竜馬や西郷隆盛らと交流し、日本の未来の為に尽力した人物である。日本がイギリスと実際に同盟を結ぶ50年も前に、イギリスかロシアのどちらかと同盟を結ぶべきということを説いた慧眼の持ち主。西郷は彼を「最も尊敬できる友人」と呼び、西郷が亡くなった時、鞄の中には左内からの手紙があったという。左内が13歳のとき、少年のころの志を忘れまいと著した「啓発録」では、学問の本当の意味を「周囲の人々と真心をもってお付き合いすること」、「自分のすべきことには誠実に全力を尽くすこと」と説く。大人になっても、時には子供のころの純粋な志を思い出してみたい。

小さな役はないが、小さな役者はいる

「小さな役はないが、小さな役者はいる」という言葉がある。周りを支える仕事は目立たないことが多いが、そんな仕事に誇りをもてない人は「小さな役者」である。これは演じることに限らず、全ての仕事に対して当てはまることだ。

見返りを求めない関係

映画「ペイ・フォーワード」を観た。「世界を変えるアイデアを考え実行しよう」という授業課題を与えられ、主人公の小学生は、「3人の人に善事をなし見返りを求めない」というアイデアを思いつく。少年が提案したこの運動は、知らぬ間に次第に全米を巻き込んだ運動へと変化していく、といったストーリーだ。素晴らしいアイデアだが、実は私達の身近なところにも存在している。それは、親子、先輩後輩、師弟の関係。こうした関係を再評価したい。

インドネシア独立を支援した日本人

1945年の今日8月17日はインドネシアでスカルノが独立宣言を読み上げた日。実際の独立までにはなお数年を要したが、独立を目指し、インドネシア人とともに戦った日本人兵士達がいた。8月15日の日本軍降伏の後、オランダ・イギリスが植民地支配を復活させようとしたのに対し、インドネシアに駐在していた日本軍のうち、多くの兵士が軍籍を離脱して現地に残り、インドネシア独立の為に戦い、亡くなった。インドネシアの国立英雄墓地には独立に命を捧げた日本兵が祀られている。今でも多くのインドネシア人が、独立を支援した日本人に感謝しているという。現在の歴史観では、このような日本人の功績が過小評価されているようでならない。

機長症候群

パイロットを対象としたテストで、機長がマニュアルと違う操作をした際、間違いに気付きながらも指摘しない副操縦士たちが多い。これは、権威者の明らかに間違った行動に従ってしまう「機長症候群」とよばれるもの。上役の判断がいつも100%正しいとは言えない。その指示にただ従うのは良くない。自分の判断力を信じ、社内にも社外に対しても権威者の言葉に盲目にならないことが大切である。

真のプロ

プロ野球オールスターゲームといえば、9連続三振を達成した江夏豊投手を思い出す。彼は現役時代、弱点をもつ打者に対して、勝敗を左右しない場面でわざとヒットを打たせたという。すると相手チームは「江夏を打った」ということで重要な場面でもその打者に代打を出さない。そして、そのときには江夏は弱点をキチンと攻め見事討ち取るという。汚い、汚くないの次元ではなく、相手に小さな勝ちを譲りながら大事な勝利を手にしていく・・・こんなところに勝負師としての真のプロフェッショナリズムを感じる。

無駄とは駄賃がもらえないこと

「ムダ」とは駄賃がもらえないこと。自分にも他人にも喜んでもらえない(付加価値のない)作業がないか、自分の仕事を再吟味してほしい。

多面的な視点

1円玉は丸?四角?まじめな人は「1円玉は丸、四角ではない」という。不まじめな人は「1円玉は丸ではない、四角だ」という。もう一つ上のレベルの人は「1円玉は丸でもあり四角でもある」という。この「丸でもあり四角でもある」という視点はあらゆる問題解決のキーになりうる。世界の対立、衝突の根本的解決にもなりうる視点であろう。自分の考え方や仕事のやり方が一面的でないか、独善的でないか、常に自問したい。

大阪と東京

サッカーで言えば個人能力の高さを誇る大阪はブラジル、組織力を駆使する東京はヨーロッパ。皆、さらに個人技を磨いて、自分のエリアを判断し空いたスペースを見て行動しよう。

コスタリカとの共通点

先日サッカーで対戦したコスタリカという国。あまり報道されず残念だったのは、日本との意外な共通点。それは憲法上軍事放棄しているということ。(実際は、コスタリカにも国境警備隊があり、日本にも自衛隊がある。非武装中立のスイスにも強力な軍隊がある)) ノーベル平和賞を受賞したアリアス元コスタリカ共和国大統領の日本国民へのメッセージを紹介したい。そして日本に対し世界に対しWIPが出来ることを考えてみたい。

無人市が少なくなっているらしい

野菜が盗られたり、お金が盗まれたりする例が増えているため。無人市には人はいないが、温かい「会話」がある。それは農家と購入者の間の「疑わない信頼」であり、相手の信頼に対して応えたという「自分自身への信頼」に気付かせてくれる。日本にこのような美風が存在することが心から嬉しい。絶対になくしてはならない。またWIPでもこうした事業ができないものかと深く考えさせられる。

結局は裸一貫

生まれたときは何も持っていないが、いろんな縁でモノが自分の周りに集まってくる。そしてそのモノが無くなれば腹が立ったり悲しんだりする。生まれたときは裸、死ぬ時も裸。人生の折り返しを迎えて、これまでモノを溜めてきたが、これからはモノを減らしていく過程なのかもしれない。

好きこそ物の上手なれ

京都で開かれた雪舟展に出かけた。彼は物心ついた頃から絵が大好き。寺ではいくら注意されても閑さえあれば絵を書いている始末。ある時怒った和尚さんに本堂の柱に縛りつけられた。その際、板の間に落ちた涙で鼠の絵を描いたら、心配してきた和尚さん、絵を見て本物の鼠だと勘違いした、というエピソードが残されている。好きこそ物の上手なれ。原点である。

幸福と不幸は表裏一体

「人生塞翁が馬」とは、馬が逃げてしまった→たくさんの馬を引き連れて帰ってきた→息子が落馬して怪我した→息子は徴兵を免れた、という話。その時々で見ると、不幸の中に幸福が、幸福の中に不幸が潜んでいる。山あれば谷あり。表があれば必ず裏がある。

不景気は絶好の機会

800人以上の専門家が2年半かけて作成した国連環境プログラムの報告書によると「先進国は消費の90%を止めなければならない」という。「このまま進めば未来の世代は生命の危機に直面する」と結論づけている。氷河にぶつかる運命のタイタニック号に乗って酒食に耽っているのが我々かもしれない。進むことのみ考えているが、一度船のエンジンを止めて考えてみてはどうだろう?今、日本経済はエンジンが不調。絶好の機会なのかもしれない。

なぜ組織は滅亡するのか?

堺屋太一著「組織の盛衰」について。なぜ組織は衰退・滅亡するのか?→原因は3つ。1. 組織が構成員の幸せのみを追求するようになること、2. 環境に適応しすぎて柔軟性を失うこと、3. 成功体験に溺れること、である。組織を衰退・滅亡から守るにはどうすれば良いか?→2つの点検を常に行う。1. 組織体質の点検、2. 組織気質の点検、である。

善悪一如

仏教の経典に面白いたとえ話がある。功徳大天という絶世の美女で修行に勤しむ僧があった。ある日、ある男の家に托鉢に行った。男は美女が来たものだからぜひ家に上がりなさいと勧めた。しかし功徳大天は妹と一緒だと言う。その男はさぞ妹も美人だろうと思ったら、妹は絶世の不美人。しかし姉妹一緒でないと家に入れないと言う。そこでその男は二人とも家に上げるのをやめてしまった。それから次は別の男の家に行ったら二人とも家に上げてくれた。仏さまがいわれるには、両方の男とも正しい。片方だけとらなかったのが良い。善悪(美醜)両方受け入れる心を持つか、善も悪も(美も醜も)受け入れない心を持つか、どちらかという。この話、果たしてあなたはどう思うか?

人のやらないことを

NHKスペシャル「ファッションデザイナー川久保玲の挑戦」を見た。彼女は繊維会社OL出身。次々に斬新なファッションを生み出して世界を驚かせ、今や「20世紀世界で最も影響力のあったデザイナー」の一人として最大級の評価を与えられている。彼女の職場では、パターンナー(社員)は抽象的なテーマを与えられるだけで一切の制約のない自由な発想やデザインを生み出している。しかし、「すでに見たもの」や「繰り返されたもの」を絶対に作ってはならない。その難しさと格闘している社員の姿が印象的だ。WIPでも新しいものを作り出していきたい。自分で生み出す喜びを感じていきたい。彼女が創立したコムデギャルソンに次のような素晴らしいコピーがある。

 すでに見たものでなく、
 すでに繰り返されたことでなく、
 新しく発見すること、
 前に向かっていること、
 自由に心踊ること

驚いてますか?

年末が近づき「十大ニュース」等が流れ始めている。「今年も悲惨な事件が多かった」とまとめられるのが常だが、こうした悲惨なニュースに対し次第に驚かなくなっている自分にハタと気付く。マスコミが悪いニュースばかり垂れ流すせいなのか、やはり悪いニュースに満ち溢れているだけなのか・・・。「牛肉と馬鈴薯」(国木田独歩)では、旧友同士が自分の人生・理想を語りあう中、主人公・岡村は、理想や現実というよりただ「不思議な宇宙におどろきたい」という。はたして我々は驚いているだろうか。不思議に感じているだろうか。我々はもっと驚くべきではないか、もっと不思議に思うべきではないか。決して鈍感になってはいけない。

西郷どん

12/7は西郷隆盛の誕生日。歴史が好きな人なら必ず一度は魅力を覚える偉人であろう。彼はエピソードに事欠かない。日本橋蛎殻町の邸宅を売却する時、執事が奔走してある金満家に元の値の数十倍で売却することにほぼ話がまとまったが、買主が面会するに及び「もと250円で買ったのだから250円で結構」と譲らなかった。また、幕府軍勝海舟からの手紙を持って単身訪問してきた山岡鉄舟と会った後「生命もいらぬ、名もいらぬ、金もいらぬという人ほど始末に困る人はいない。しかし、そんな始末に困る人でなければ、国家の大業は成し遂げられぬ」と語ったと言われている。好きな言葉の一つである。再度思い出して志を大きく持ちたい。

言葉によって人格を磨く

映画「マイフェアレディ」は、オードリーヘップバーンが演じる下層階級の女性がヒギンズ教授から美しい言葉を教わり高貴な皇族出身者との評価を勝ち得るまでに変身する、といったストーリー。韓国の仏教僧侶・法頂氏の言葉に「言葉遣いはその人の人となりを表す。そして、また、その言葉によって人格を磨いていくこともできるものだ。」とある。言葉を取り扱う会社として、改めて考えてみたい観点である。

心の中のテーブルと棚

今日、今週、今月何をやったかを「玉」にしていこう。そして一つ一つにピリオドを打っていこう。打たないと潜在意識はずっと処理し続けている。ピリオドを打って「タイトル」をつけて心の名の「本棚」に入れていこう。必要あれば後日引っ張り出せるようにしておこう。心のテーブルにたくさんのノートを広げ放しになっていてはだめ。履歴書に書けることをドンドン積み上げていく。自分の証し・歴史を会社に遺していこう、社会に遺していこう。

人生に絶望などありえない

「素晴らしき哉、人生!」(原題 It's A Wonderful Life フランクキャプラ監督、1946年米)は近年観た映画の中で一番感動した傑作だ。不器用だが正直で誠実な主人公ジョージは、人生に多大なる夢と希望を持っていたが、それも叶わず父の会社を継いで貧しい人たちのために精を出す貧乏生活。しかしあるクリスマスの日に大金を失い絶望のあまり川へ身を投げようとする。その時、二級天使が地上に舞い降りて彼を救う。生きる意義を再発見する彼にいよいよ奇跡が起きる・・・、といったストーリーだ。「元気を出せ!人生に絶望などありえない」という、シンプルながら力強いメッセージがそこにはある。

敗北に際しても黙々と歩き続ける

ヘミングウェイ作「武器よさらば」では、戦争に追われそして戦争を捨て、恋人との幸せを一時掴みながら彼女の死に「敗北」する男性が主人公だ。悲劇的な結末ながら、彼には不思議なさわやかさがある。それは、運命に対し人間は常に敗北者である、しかし敗北を前に、くよくよしない、黙々と耐えよう、勇敢に立ち向かおう、といった作者のシンプルなメッセージが伝わってくるからだろう。1人の個人としても、人類全体としても、今後さまざま失敗や敗北に打ちひしがれるかもしれない。しかし、黙々と耐えながら明日に向かって歩きつづける・・そんな姿勢を保ち続けたい。

相違点でなく共通点を捉える

自分(他人)とは何か。1)最近ふと以前TVで見た多重人格患者の症状を思い出した。彼女には9人の人格が次々に現れる。赤ちゃん、少女、暴力性あふれる性格等様々。しかし、ふと私自身(上田)を振り返った時、気分や性格が一定しているかというとそうではない。たえず大きく変化している自分がある。彼女と自分を区別しているものは何なのだろうか? 2)アイデンティティの問題。福井人としての自分、日本人としての自分、アジア人、仏教徒?、父親、夫、息子、労働者としての自分・・等様々。例えば、アフガニスタンの件を考えるたび、彼らをムスリムと定義し自分とは違う存在と捉える自分があるのはなぜだろうか? 「違い」ではなく、「共通」した何か、「一体」としての何か、をもっと取り込める「器」を作りたい。

何十億年も受け継いできたもの

絵本「100万回生きたねこ」では100万人の飼い主に養われたねこが主人公だ。あるときは王様、あるときは泥棒、手品師、老婆、少女・・等いろいろな飼い主にかわいがられ、死んだ時に泣いてもらえた。主人公は最後に野良猫に生まれ変わる。そして家族ができ家族が亡くなった。その時初めてねこは100万回泣いた・・といった物語だ。よくよく考えると私たちもも100万回、否それ以上生まれ変わっている。実際、何億年、何十億年もの祖先の経験を遺伝上引き継いでいるのが私たちのこの体だ。人間が死ぬこととは、この綿々と受け継いできた(また何億年と子孫に受け継ぐであろう)このひとすじの「糸」を切ることではないか。綿々と受け継いでいるものの豊かさ(と同時にか弱さ)を改めてよく味わいたいと思う。

オリジナル言語尊重というトレンド

「歴史を変えた誤訳」を紹介。特に翻訳・通訳に関して、オリジナル言語(Source language)尊重か(直訳)、訳出対象言語(Target language)尊重か(意訳)という問題を再認識し、多文化主義の下、オリジナル言語(文化)になるべく加工を加えないというトレンドが出てきていることに留意されたい。

ニュースはマスコミ会社の「商品」

いかにニュースを魅力あるものに仕立て、好奇心を刺激し、長く、毎日見てもらうかに腐心するのは当然である。「明日も見たい」と思ってもらうために、必要最小限の断片を小出しにしていく、どのニュースも重要と思ってもらうために、恐怖や不安を駆り立てる悪いニュースを強調し、良いニュースでも必ず心配な材料を見つけ出していく傾向がある。こうしたマスコミに対し、いかに自分を守るか?私たちができることは、一過性のニュースになるべく時間を割かないこと、見ても「大きな流れ・文脈の中でこの出来事はどんな意味を持つか」をしっかり考えることであろう。

永井隆博士の遺言

長崎原爆記念の日を迎え、永井隆博士を紹介したい。長崎医大の放射線科につとめていた時にレントゲン診察の影響から白血病に冒され、その後すぐ被爆。自ら傷つきながらも必死に死傷者の救護にあたった。夫人はただ十字架の鎖だけを残しすでに黒い塊と化していた。彼はその後「いとし子」に残す遺言と平和への祈りを寝たきりの中で書き続け、名作を残して昇天せられた。その中から心に残る一節を読みたい。

 いとし子よ
 人生は短い。「一生の仕事」は一つしかできない。二つも三つも仕上げるだけの年月は与えられていないのである。
 人生は長い。一生の仕事を一つ仕上げることができる。一つだけ仕上げるには、十分な年月が与えられているのである。
 いとし子よ
 ただ一つの仕事を一生の仕事と定めよ。定めたら、それに取りかかる。
 ・・・その時の初心を忘れてはならぬ。一生かかってやりとげる。
 ・・・この決心を死ぬまで持ち続け、実行するのだ。

一面的な映画

先日映画「パールハーバー」の真珠湾攻撃を見て思い出したのは、零戦パイロット坂井三郎氏である。氏の自伝「大空のサムライ」は欧米でベストセラーとなり100万部以上売れた。その中に興味深い箇所がある。自分が撃った弾丸で血を流している相手と空中で初めて目があった時、「戦争とはいいながら・・すまなかった」と感じたこと。全身を撃たれ意識が遠のいた瞬間、「そのくらいの傷で死ぬのか」という母の声を聞いて何とか生き延びたこと。「パールハーバー」では米国パイロットの友情・恋愛のみを描いているが、日本のパイロット側にもそれぞれの家族愛や友情・恋愛が当然ながら存在する。歴史的・文化的検証があまりなされていない映画に失望するとともに、両サイドの人間愛を並行的に描く映画を期待したい。

海外日系人の日本にかける思い

東京オリンピックの招致活動を大成功に導いたのは日系米国人(日系二世、父は明治時代の北米移民)フレッド和田氏である。勤勉さが売り物で食料品店の事業を成功させ、日米開戦後も追放先のユタで農地開墾に精を出す。終戦後ロスに移住した彼は祖国日本の水泳選手団が渡米すると手弁当で世話をしてあげた。この時大活躍したのが世界新記録を出した古橋。その後日本がオリンピックを招致することが決まると商売ほったらかしで「日本人に勇気と自信を持たせることができる」と世界中のIOC委員の説得に飛び回り、見事東京を圧勝させた。昨晩大阪はIOC総会で大敗してしまったが、海外日系人の日本にかける思いと苦闘に改めて思いを馳せたい。

風姿花伝はガイドブック

「風姿花伝」(世阿弥)には能の年齢別トレーニング法が書かれている。芸を究めるため、7歳、12~13歳、24~25歳、34~35歳、44~45歳、50有余歳と分けて、父の観阿弥から学んだことを細かく書き残したものだ。「時分の花」(その年齢かぎりの美)、「真の花」(まことのはな)、「老骨に残りし花」と花にたとえる趣が良い。年齢だが、現代になぞらえると、上記にプラス15歳ぐらいが適当ではないだろうか。社会人となって自分の仕事を究めていくための格好なガイドラインの役目を果たしてくれるだろう。

学問のすすめ

福沢諭吉「学問のすすめ」では、・賢愚、貧富、身分の差を生み出す原因は一つ→学問の力があるかどうか、・実学を身に付けよ、・人間も国家も権利において平等、・独立の気風を守れ、・衣食住の確立だけで満足せず社会文明の発展のために尽くすべき、・自分の仕事や学問について再点検せよ、・文明の進歩は批判精神からもたらされたが、この取捨選択の判断力は学問が養ってくれる、と述べている。本当の学問を身に付けたい。

失敗しても続ける人生~リンカーン

22歳で事業に失敗。23歳で州議会議員に落選。25歳で再度事業に失敗。26歳で恋人に死なれ、27歳で神経の病になる。34歳から5年間に3回下院議員に落選。46歳で上院議員に落選。47歳で副大統領になろうとするが失敗。49歳で上院議員に落選。51歳で合衆国大統領になる。この人物こそアブラハム・リンカーン。4月14日は彼が暗殺された日。成功の要諦は「成功するまで続けるところ」にあるということを改めて思い出させてくれた。

豊かさと静けさ

石川県の庭園にある「水琴窟」についての書き物紹介。豊かさを追求する西洋音楽に比べ、静寂の中でのみ聞こえる水琴窟の音は、日本人の繊細な感性を感じさせる。日常、音のない環境にいることの難しさに思いを馳せてみると、そこに何か新しい光明をみつけ出すことができるのではないだろうか。東洋、日本が世界に貢献できる術は何か、改めて考えてみたい。

絶対あきらめるな

最近「十二番目の天使」という本を読んで泣かされた。主人公は家族の死に打ちひしがれ生きる希望を失っていた時、リトルリーグのある少年に出会う。その少年は野球が殆ど出来ないのだが、「絶対、絶対あきらめるな」「毎日少しずつ良くなっている」という言葉だけを繰り返して他の子供達を応援し、人の何倍も練習して少しずつ野球が上手になる。やがてようやくヒットを打てたとき目の前には死が待っていた…。精一杯自分の生を生ききること。その素晴らしさを教えられた。

現状維持はない

「人間には進歩か退歩のいずれかがあって、その中間はない。現状維持と思うのは、実は退歩している証拠だ。」(森信三)を紹介。果たして自分は前へ進んでいるだろうか。日々自問しよう。そして励ましあおう。

日常生活こそ修養の場

我々の日常生活は次々に迫ってくる仕事の連続で成り立っている。首相・大臣も同じである。座禅や読書も大切な修養だが、結局日常生活をいかに深みのある充実したものにするかが修養の目的だとすれば、何を先にして何を後にするか、何を捨て何を拾うか、この日常生活の中の一つ一つの仕事をどう裁くかを修養の根本に置いて自分を高めていこう。

非常時こそ真実があらわれる

3月24日土曜日の芸予地震で被災地の方は大変かと思う。阪神大震災では自衛隊の出勤が相当遅れた。自治体の首長による出勤要請が遅れたからである。自衛隊によると「関が原より西は寒い」。つまり関西の自治体は自衛隊との連絡調整や共同訓練に極めて消極的らしい。自衛隊員には、余力を残しながら人を助けることが出来なかった悔しさがあった。非常時こそ真実があらわれる。会社も個人も改めて非常時への備えを考え直してみたい。

ひとくくりで捉える危険

「○○人」「●●人」と一括りに考える思考は我々誰しも持っている。その危険に注意したい。

深く掘り起こす

1年の計画は稲を養う如くしたい。昔の篤農家の米の収穫はなぜ多かったのか?それは春の田起こしの際、他家より深く掘り起こしていたから。深く掘り起こすと土中の微生物を活性化できる。仕事でも、既存顧客を再度深く掘り起こし、自分達が培ってきた経験・能力・ネットワークをさらに深く掘り起こそう。秋の収穫に備えて春に精一杯の準備と感謝で深堀りをしよう。

雨になったらかさをさす

まず天気に向かってブツブツ言わないこと、雨の日には雨の生き方があり、まず今・今日の自分の環境を肯定することからスタートすること。2つ目は濡れている傘のことを忘れてはいけないということ。自分が濡れずに済んでいるのは支えてくれている人がいるからである。もう一度良くこの意味を噛みしめたい。

会社規模や社員数など無意味

「世の中の金は全て私のものよ貸して返らぬと思えば済む」という川柳を時折思い出す。世の中の総てが自分に与えられた財産だと考えると、自社の規模など無意味である。世の中をどう活かそうか、どう良くしようかと考える視点が生まれる。世の中の人が総て仲間だと考えると、社員数が何人いるかなど無意味である。たくさんの人とどんな仕事をしようか、どうしたら仲間に喜んでもらえるかを考える視点が生まれる。心に制約を設けず、自由な心と大きな心で仕事を捉えよう。

みんなお互い賢くもあり愚かでもある

今日2月22日は聖徳太子が亡くなられた日。財布に入れている17条憲法の第10条を紹介したい。「怒りの心を捨てなさい。人が自分と違うことを怒ってはいけない。人は皆心を持っている。心や考えはそれぞれ何かに執着している。彼や彼女からすれば私の方が間違っている。私からすれば彼や彼女が間違っている。しかし、私は必ずしも聖人ではないし、彼や彼女が必ずしも愚かな人ではない。お互いただの人である。どちらが正しいか間違っているかは決められない。皆お互い賢くもあり愚かでもある・・」(私流解釈)。顧客や取引先との間でも色々な誤解や苛立ちが生じるかもしれないが、この言葉を改めて味読したい。

デカルトの考え方

デカルト「方法序説」は、物事を考えるには4つのルールがある、と説く。それは、自分がはっきりと認識した真実しか判断に含めないこと、難問でも小さく分割して考えること、単純でわかりやすい問題から始めて徐々に複雑な問題に登ること、最後にこれらの過程を全て見直して見落としがなかったかよくチェックすること、だと述べている。数多の理論や規則に縛られずなるべくシンプルに考えるのも必要だ。

報酬の前に奉仕あり

空腹な時に他人の家に行って「一杯の飯をくれ、そしたら庭を掃こう」といっても決して一飯を振舞う者はいないだろう。空腹をこらえてまず庭を掃けば、あるいは一飯にありつくことはあるだろう。二宮翁が若い頃のある日、鍬が壊れ、隣の家に行って「鍬を貸してくれ」といったら「今この畑を耕して種を蒔こうとするところだ。蒔き終わるまでは貸せない」という。「家に帰っても別に為すべき事もない。ではお宅の畑を耕してあげよう、ついでに種も出してください、蒔いときます」といってしてあげたら鍬を借りることができた。隣翁「鍬に限らず何でも差し支えることがあれば遠慮なく言っておくれ。必ず用立てるから」 ~報酬の前に奉仕ありき、ということをお客様に対して考えたいと思う。毎回給料をもらう度にこのお金は会社から出るのではなくお客様がお礼として支払ってくれたものと肝に銘じたい。仕事の本来の意味はそうした奉仕が先に来るということを改めて皆で噛みしめよう。

まずは稼ぐ力を

どんなささやかな仕事でもいい、大地に根を下ろしたような力強い生き方とは、まず自分が生業における「職人(プロ)」として一人前かどうか、最低の技能を身に付けて役に立っているのかどうか、が判断基準の出発点ではないだろうか。果たして貴君は、プロの職業人として最低の技能を身に付けているだろうか?どんな環境であろうと、食いはぐれのない、力強くたくましい人間になって欲しい。いざ組織がつぶれたり組織から放り出されたり定年になって退職しても直ぐに自分や家族の食い扶持ぐらいは稼ぎ出す人になってほしい。もし他の業界や他の会社にいったとしても十分にプロとして通用する人になってほしい。こうした積極性をもって生業に臨むことこそ、人に自信と力強さを与え、愛する人や家族を守る源である。

眠っている「知恵」を引き出そう!

人間の脳には140億個~160億個の記憶の点(ニューロン)があると言われている。日本の受験では、このニューロンを増やすこと、そして決められたニューロン同士の結びつき(シナプス)を強化し、いかに正しく早くこのつながりを再現出来るかを重要視してきたが、これはあくまで「知識」である。「知識」の量を増やすことも無論大切だが、今まで一生懸命蓄えてきたシナプスを、状況次第で自由自在に切り離し、他のニューロンと自由自在につなぎ替えるということこそ重要だ。これこそ、人間のみが生み出せる「知恵」である。これからは、いかに自由自在にたくさんのアイディア、組み合わせ、可能性、創造を生み出せるかを徹底的に追求しよう。いままで積み上げてきたもの、強化してきた常識をぶち壊そう。仕事の醍醐味は、人がやらないこと、思いつかないこと。世界はあなたの奇想天外・型破りなアイディアと行動を待っている。

世界に貢献する「発明」をしよう!

発明とは何も科学的なものだけではない。学問的なものだけでもない。今までに誰も思いつかなかったこと、思いついたけど今まで誰も行動に移さなかったこと、行動に移したけど誰も結果を残せなかったこと、このいずれかでも、もしやり遂げることが出来たとしたら、それはやはり「発明」なのだ。一片の言葉、商売、ビジネス、経営、政治、考え方、工夫、しくみ等々、これらにも「発明」はある。家族、友人、会社、社会、国家、世界、ひいては人類、生物のために貢献する「発明」を、自分の生涯で少しでも遺せたらどんなに素晴らしいことだろう。この「発明」に全力を注ぎたい。

 

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