厚生労働省によると、2025年10月末時点の外国人労働者数は257万1,037人、外国人を雇用する事業所数は37万1,215所となり、いずれも届出義務化以降で過去最多を更新しました。こうした状況のなか、外国人従業員に社内ルールや労働条件を正確に伝えるため、多言語での説明や文書整備の必要性が高まっています。
しかし、就業規則の翻訳ミスは単なる「品質の問題」では済みません。労働条件の義務と権利が逆になる、禁止事項が許可事項に変わる——こうした誤訳は、従業員の誤解や運用上の食い違いを招き、人事トラブルや法的な争点につながるおそれがあります。
1. よくあるケース:就業規則の「月」が「週」に訳されていた
就業規則の翻訳でよくみられるケースから、見落とされやすいリスクを確認します。
(以下は、翻訳時の数値・単位の誤りによるリスクを説明するための架空のケースです)
ある企業の人事担当者が、国内事業所で働く外国人従業員に配布するため、日本語の就業規則の英訳を翻訳会社に発注した。。納品物を通読して「特に問題はなさそう」と判断し、現地に配布した。
3ヶ月後、現地従業員から人事部に問い合わせが届いた。「残業の上限が週20時間と記載されているが、実際の運用は月20時間のはずではないか」。
確認すると、原文の「月20時間以内」が「週20時間以内」に訳されていた。単位が「月」から「週」に変わったことで、原文とは大きく異なる労働条件として読める内容になっていた。就業規則の修正・再配布・従業員への説明に時間を要した。
数値そのものは正確に引き写されていた。しかし単位が変わったことで、労働条件の実質的な内容が変わっていた。
2. 就業規則の翻訳で見落とされがちな3つのリスク
就業規則は、労働条件や職場内の規律を統一的に定める文書です。一定の要件を満たす場合には、その内容が労働契約の内容となるため、翻訳によって意味が変わると、従業員の理解や実際の運用に影響するおそれがあります。
ここでは、特に見落とされやすい3つのリスクを整理します。
リスク① 義務・禁止表現の誤訳
日本語の「~しなければならない」「~してはならない」といった表現は、従業員の義務や禁止事項を定める重要な規定です。英訳では、文書の起草方針に応じて must、must not、may not、is required to、is prohibited from などを使い分け、義務・禁止・許可の関係を正確に伝える必要があります。
これらが許可や任意を示す表現に誤訳されると、原文が定める職場ルールとは異なる意味に受け取られるおそれがあります。
リスク② 労働条件の数値誤り
給与・労働時間・残業の上限・有給日数など、数値を含む条件は一字違いが大きな影響を持ちます。「月20時間まで」が「月200時間まで」になる、「年10日」が「年1日」になる——こうした誤りは訳文だけを読んでも見落とされることがあるため、数値と単位を原文と個別に照合する必要があります。
厚生労働省の外国人雇用管理指針では、就業規則全文の翻訳を一律に義務付けているわけではありませんが、賃金や労働時間など主要な労働条件について、外国人労働者が理解できる方法で正確に伝えることを求めています。数値や単位に誤りがあれば、労働条件を外国人労働者が理解できる方法で正確に伝えるという指針の趣旨を損なうおそれがあります。
リスク③ ただし書き・例外規定の訳抜け
「ただし、〜の場合はこの限りではない」「〜に限り、〜とする」といった例外規定は、就業規則の適用範囲を限定する重要な要素です。翻訳でこの条件が省かれると、規則の適用範囲が意図と異なる広さ・狭さになります。
例外規定が抜けると条項の適用範囲が変わるため、主文だけでなく、ただし書きや条件節が訳文に反映されているかを原文と個別に確認する必要があります。
3. 就業規則の翻訳に求められる工程設計
就業規則は、一定の要件のもとで労働契約の内容となり得る重要な文書です。そのため、単に意味の概要を伝える翻訳ではなく、原文の労働条件や職場規律を正確に伝える工程が必要です。
発注前に確認すべき3点を整理します。
- 義務・禁止・許可の訳し分けが担保されているか:発注先の翻訳会社が、法律文書における義務・禁止・許可の違いを理解し、原文の意味に応じて正確に訳し分けられるかを確認する
- 数値・条件の照合工程があるか:翻訳後に数値・期日・上限値を原文と照合する工程が設計されているか
- 承認者と修正フローが決まっているか:人事・労務担当者や、必要に応じて社会保険労務士・弁護士等の専門家が、内容と運用の整合を最終確認する体制があるか
また、厚生労働省が公開する「モデル就業規則」は、翻訳の前提となる就業規則の構造理解として参考になります。
まとめ
就業規則の多言語翻訳は、労働条件や職場規律を正確に伝える重要文書の翻訳として設計する必要があります。義務・禁止表現の訳し分け・数値の照合・例外規定の完全性——これら3点が確認されていない翻訳は、人事トラブルのリスクを内包しています。
「翻訳会社に渡して納品された」ではなく、「発注前に工程を設計した」という状態で着手することが、HR部門の翻訳リスクを下げる最初の一手です。
参考資料
・厚生労働省「『外国人雇用状況』の届出状況まとめ(令和7年10月末時点)」https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/koyou_roudou/koyou/jigyounushi/page11.html
・厚生労働省「外国人労働者の雇用管理の改善等に関して事業主が適切に対処するための指針」(平成19年厚生労働省告示第276号)https://www.mhlw.go.jp/content/000601382.pdf
・厚生労働省「モデル就業規則について」https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/koyou_roudou/roudoukijun/zigyonushi/model/index.html






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Jun. 15, 2026