日本国内で確固たる地位を築いたブランドが、満を持して海外市場へ打って出る。その際、多くの経営者やマーケティング担当者が「ロゴやパッケージはそのままに、まずは認知を広めよう」と考えます。しかし、そこに潜むのが「言葉の罠」です。
アルファベット表記のブランド名は、世界共通の「記号」に見えて、その実、国や地域によって全く異なる「意味」や「響き」として受容されます。本稿では、非英語圏、特にアジア市場を中心としたブランド名の現地化(ローカライズ)における論点を、専門的な視点から深掘りします。
1. 翻訳では解決できない「音(Sound)」の心理学
言語学には「音象徴」という概念があります。特定の音が、人間に特定のイメージ(大きい、小さい、鋭い、柔らかいなど)を抱かせる現象です。
「心地よい音」は国ごとに異なる
例えば、日本語で「ふわふわ」「もこもこ」といった響きは柔らかさや安心感を与えますが、これをそのまま海外で音写しても、同じ感情を呼び起こすとは限りません。ある国では「力強い」と聞こえる音が、別の国では「弱々しい」あるいは「滑稽だ」と受け取られることがあります。
ブランド名が現地語でどのように発音され、その「響き」がターゲット層(例えば高所得層、あるいはZ世代など)の感性に合致しているかを検証することは、マーケティングの第一歩です。
「読みやすさ」が検索性を左右する
現代の消費行動において、ブランド名は「SNSでハッシュタグ化されるもの」です。現地の消費者が初見で読み方が分からず、キーボードで入力しにくい名称は、それだけでシェアの対象から外れてしまいます。特に韓国のように独自の文字体系(ハングル)を持つ国では、公式な表記を定めないまま放置することは、デジタルマーケティング上の機会損失に直結します。
2. 漢字圏における「音」と「意」の二重構造
台湾、香港、中国などの漢字圏への進出において、ブランド名は単なる「音」ではなく「意味」を伴う強烈なメッセージとなります。
「音訳」か「意訳」か、あるいは「合体」か
漢字を当てる手法には、主に3つのパターンがあります。
- 音訳(トランスリテレーション): 原音に近い漢字を当てる。
- 意訳(トランスレーション): ブランドのコンセプトを意味する漢字を当てる。
- 音意兼顧(ハイブリッド): 音を似せつつ、ブランドイメージに合致した意味を持つ漢字を選ぶ。
最も成功率が高いのは3の「音意兼顧」ですが、これは至難の業です。例えば、ある世界的飲料メーカーは「コカ・コーラ」に対し、「可口可楽(口にすべく、楽しむべし)」という、音と意味が完璧に調和した漢字を当てたことで、中国市場での不動の地位を築きました。
逆に、音だけを優先して「意味」を疎かにすると、育児用品なのに「冷たい」「硬い」印象の漢字が当たってしまったり、高級ブランドなのに「安っぽい」漢字が定着してしまったりするリスクがあります。
3. ネガティブ・チェックの重要性——潜伏する「忌み言葉」
ブランド名が、現地の俗語(スラング)や宗教的にタブーとされる言葉、あるいは不吉な歴史を想起させる言葉と似ていないか。この「ネガティブ・チェック」こそ、最も慎重を期すべきプロセスです。
意外な落とし穴
- 同音異義語のリスク: 日本語では高潔な意味を持つ言葉が、現地の特定の地方の方言では「恥ずべき行為」を指す言葉だった、という事例は枚挙に暇がありません。
- 宗教・文化的文脈: 多民族国家であるシンガポールやマレーシアでは、一つの言語で問題なくても、別のコミュニティの言語では不快感を与えるケースがあります。
これらは、AIによる自動翻訳や辞書的な調査では決して辿り着けない領域です。現地の文化に根ざしたネイティブによる「感性調査」が必要不可欠となる理由がここにあります。
4. 知財戦略としての「防衛的ネーミング」
ブランド名は、マーケティングの武器であると同時に、法的に守るべき「資産」です。
越境EC段階からの備え
「まずは越境ECからスモールスタートするから、商標は後回しでいい」という考えは、グローバル市場では通用しません。特に中国や東南アジアの一部では、日本で話題になり始めたブランド名を先回りして登録する「商標ブローカー」が組織的に活動しています。
たとえ現時点で進出予定がない地域であっても、将来の展開可能性を見据え、以下の2点をセットで保護しておくことが「防衛」の鉄則です。
- アルファベット表記の原名
- 将来使用する可能性が高い現地語表記(漢字など)
これを怠ると、いざ現地展開を決めた時に、自社のブランド名を使うために数千万円の「買い取り交渉」を強いられることになりかねません。
5. 結論:ネーミングは「市場への敬意」である
海外進出におけるネーミングの検討は、単なる「名前決め」ではありません。それは、その国の文化、歴史、そして消費者の感情を深く理解しようとする「市場への敬意」の表明です。
自社のブランドが、現地の家庭で、街角で、あるいはスマートフォンの画面上で、どのような温度感を持って呼ばれるのか。その一歩先まで想像を巡らせることが、グローバルブランドとしての第一歩となります。
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- 世界各国のネイティブによる「多角的な言語・感性調査」
- 現地市場に刺さり、かつ権利保護が可能な「現地語ネーミング案」の創出
- グローバル商標調査と連携したリスクマネジメント
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