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動詞のotherから考える、ダイバーシティ&インクルージョン|WIPジャパン

作成者: WIP japan|Jan. 19, 2022

 

近年よく見聞きする言葉の一つ、「ダイバーシティ&インクルージョン(Diversity & Inclusion)」。

 

ダイバーシティは「多様性」を、インクルージョンは「包摂性」を意味し、ダイバーシティ&インクルージョン(以下D&I)で「多様性を受け入れ、組織の活力とする考え方」を表しています1)

 

先日、海外のD&I関連の文書を読んでいた際、otheringという単語に出会いました。

 

(前略)・・・The term diverse ended up reinforcing an us versus them paradigm, in which white men were treated as us (or the “in” group), and everyone else as the “out” group — the other, “diverse.” The usage resulted in othering the very people he sought to include.
引用元:Harvard Business Review2)(下線は執筆者によるもの)

otherは形容詞あるいは名詞としてのみ使われる単語だと思っていましたが、このotheringは動詞のotheringを付けたもの。

 

英英辞書のThe Merriam-Webster Dictionaryを調べてみると、otherの動詞としての用法を見るようになったのはD&Iの議論が活発化してきたここ数年のこととあり3)、次のように説明されています4)

 

Other (verb) - othered; othering
: to treat or consider (a person or a group of people) as alien to oneself or one's group (as because of different racial, sexual, or cultural characteristics)
(執筆者試訳:人種、性的自認、文化的特徴が自分自身や自分が所属しているグループとは異なるからという理由で、ある人やグループを異質なものとして扱うこと、または見なすこと)

 

冒頭で紹介したHarvard Business Reviewでのotherの使われ方も合わせて考えると、

 

【ある人や集団を「私たち」と違う「その他の人/集団」と見なすこと】

【「私たち」と「その他の人/集団」を、内と外で線引きすること】

 

これが動詞otherの意味と言えそうです。

 

他での実際の使用シーンをみたところ、このotherの意味から推察できるとおり、マジョリティ側からのマイノリティへの言動を扱った文脈がほとんどです。そしてやはり、「差別」や「排斥」といったネガティブな意味をもって使われています。

 

たとえばCanadian Museum of Human Rightsのウェブサイトでの説明には、otheringは “Us vs. Them”(「私たち」と「あの人たち」)という対立構造を生む行為であるとし、差別や(極端な場合は)迫害につながりうるとしています5)

 

この説明からも分かるとおり、動詞のotherD&I関連の文章において、D&Iの概念(=多様性を受け入れ、組織の活力とする考え方)と相反する行為を指すものとして用いられることが多いです。

 

もともとD&Iという概念はアメリカで生まれた考え方。カタカナ語でダイバーシティ&インクルージョンとしても、なかなかその本質を理解しにくいかもしれませんが、otheringと対比して考えることで理解が進むかも知れません。

 

つまり、otheringによって生まれる “Us vs. Them”(「私たち」と「あの人たち」)という対立構造を否定するのが、D&Iの本質です。

 

***

 

日本国内のD&I関連の文書を読んでいると、以下のような文章をよく見かけます。

 

「多様性を受け入れることで、組織の力は高まります」

「性的マイノリティの受け入れが進んでいる」

「障がい者を社員として受け入れる」

 

「受け入れる」という表現を使ったこの3つの文章は、私が書いたものです。どれも特に珍しい文章ではないと思います。

 

D&I関連の文章では、特にこの「受け入れる」という表現が散見されます。それは冒頭でお伝えしたD&Iの説明(=多様性を受け入れ、企業の活力とする考え方)にも見ることができます。

 

海外のD&I関連文書で、この「受け入れる」に相当する語にどのような英語が使われているのか調べてみると、”Social Acceptance of LGBT People and Legal Inclusion of Sexual Minorities.”6) や、“Let’s embrace diversity for a better world”7) などにあるとおり、acceptembraceが使われていることが多いようです。

 

ところで一見ポジティブにみえる「受け入れる」という表現、よくよく考えてみると少し違和感を覚えないでしょうか。

 

「受け容れる」とも書くこの言葉には、国語辞典に「引き取ったり迎えたりして、部外者などを内に入れる」8)とあるとおり、「内」と「外」の概念が根底にあります。

 

誰かが誰かを「受け入れる」と言ったとき、そこにわずかにでも示唆されるのは、受け入れる対象を「自分たちとは異質の「外」にいる存在」と捉えているということ。

 

つまり「受け入れる」という表現は、「あなた方は私たちとは違う、外の人たちなのだ」というメッセージを含むということ。少ないかもしれませんが、そのメッセージを伝えてしまうおそれがあるということ。

 

ということは、たとえば先に挙げた「性的マイノリティの受け入れが進んでいる」と言ったとき、性的マイノリティに対してどういうメッセージになりうるでしょうか。

 

仮に「性的マジョリティからみた性的マイノリティは、異質な存在であり部外者である」といった内容が、伝わるのだとしたら。

 

結果として、性的マジョリティと性的マイノリティに対立構造が生まれたり、または対立構造が深まったりしてしまうことは想像に難くありません。

 

「受け入れる」という表現一つで、D&Iが目指す “Us vs. Them”(「私たち」と「あの人たち」)という構造の解消は、実現するどころかむしろ深化してしまう場合だってあるのです。

 

このことは当然ながら、翻訳においても意識すべきことと言えます。D&I関連の文章でacceptembraceなどの単語を見たとき、熟慮することなく「受け入れる」という訳語を選択したとしたら。

 

確かにacceptembraceには「受け入れる」という意味があり、辞書にも書いてあります。とはいえ、「受け入れる」という表現を使うことで、D&Iと相反する行為であるotheringが強化され、“Us vs. Them” が強化されてしまう可能性があるのは既にみてきたとおり。

 

D&Iの本質は、繰り返しになりますが、otheringの裏返しです。「「私たち/us」と「あの人たち/them」の間で線引きをせず、すべての人々を個人として尊重し、関係を築くこと」にあります

 

その本質を「受け入れる」という表現で伝えられないのだとしたら、辞書の訳語がそうだったとしても、機械的に使うべきではありません。

 

私たち翻訳者は、このように時には辞書の表現を離れ、文脈に沿って言葉を生み出すことが求められます。そしてこうした状況こそ、翻訳者としての腕の見せ所。

 

これがまた難しく、やりがいのある瞬間でもあるのです。

 

執筆:田村嘉朗
大手通信会社ロンドン支社勤務を経て、2013年より翻訳者として活動
専門は通信、マーケティング

参考URL/文献
1. 厚生労働省委託事業 職場におけるダイバーシティ推進事業報告書
https://www.mhlw.go.jp/content/000673032.pdf
2. Harvard Business Review: Are Your Diversity Efforts Othering Underrepresented Groups?
https://hbr.org/2021/02/are-your-diversity-efforts-othering-underrepresented-groups
3. Merriam-Webster: Can 'Other' Be Used as a Verb?
https://www.merriam-webster.com/words-at-play/other-as-a-verb
4. Dictionary by Merriam-Webster
https://www.merriam-webster.com/dictionary/other
5. Canadian Museum of Human Rights: Us vs. Them: The process of othering
https://humanrights.ca/story/us-vs-them-the-process-of-othering
6. Equal Rights Association: Social Acceptance of LGBT People and Legal Inclusion of Sexual Minorities
https://www.lgbti-era.org/one-stop-shop/social-acceptance-lgbt-people-and-and-legal-inclusion-sexual-minorities
7. International Youth Conference for Peace and Future
https://www.city.hiroshima.lg.jp/uploaded/attachment/146611.pdf
8. 明鏡国語辞典 第三版