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ジェンダーと言葉と翻訳と|WIPジャパン

作成者: WIP japan|Nov. 26, 2020

 

先日、帰省する際の飛行機チケットを予約しようと航空会社各社のWebサイトを調べていたところ、次の記事が目に入りました。

 

日本航空「Ladies and Gentlemen」廃止 性的マイノリティー配慮

日本航空は機内や空港の搭乗口で英語の案内アナウンスをする際、「Ladies and Gentlemen」(淑女、紳士の皆様)の呼び掛けを9月末で取りやめる。性別を前提とした英語表現だとして、日航は「性的マイノリティーのお客様が不快な思いをしないように」と廃止を決めた。10月1日から新しいアナウンスに変更する。

(出典:毎日新聞 2020年9月28日の記事より1)

新しいアナウンスでは、”all passengers” や “everyone” を使っているようです。

言葉と表現の観点から、性の多様性を認め性別の中立を保とうとするこうした動きは、当然ながら海外でもみられます。

カナダ航空ではJALに先立つ2019年10月に、“ladies and gentlemen” またはフランス語の “mesdames et messieurs" の代わりに ”everybody” や ”tout le monde” を2)、また2019年末には、イギリスの格安航空会社easyJetが “welcome everyone” を使うようになっています3)

航空会社だけでなく、ニューヨークやロンドンでは地下鉄やバスにおいても、呼びかけの表現を変更しています4), 5)

 

性差のない言葉へ

こうした言葉や表現の変化は、なにも公共の交通機関に限ったものではありません。

日々の翻訳の仕事をしながら、時代とともに変化する言葉や表現に触れることがあります。

たとえば以下の英単語は、もともとは性別がはっきりと表われるものでした。現在では、それぞれgender-neutral terms(性差のない言葉)に置き換える動きが進んでいます。

manpower → workers, work force, human effort
manhole → utility hole, maintenance hole
man-month → person-month
master → leader, boss, chief
housewife → homemaker
maid → house cleaner
brothers / sisters → siblings
fatherland / motherland → native land

これらはほんの一例に過ぎません。

一部の海外の国々は、ジェンダーに関する諸問題に日本よりも高い意識を持っているように思います。

そのため、私たち日本人が気にも留めずに見聞きしている言葉が、その言語の話者にとっては失礼なものだったり受け入れがたいものであったりする可能性もあります。

翻訳に携わるものとしては、翻訳でつくった文章にそういう言葉が含まれていないかどうか、気を配る必要があります。文書の性質によっては、読んでもらえない場合があるからです。

私は日英翻訳(日本語から英語への翻訳)のチェッカーとしての業務を担当することもあるのですが、気になることがあれば英語ネイティブに確認するなど、細心の注意を払うようにしています。

 

単数で用いられる ”they”

性の多様性を認める動きも、言葉や表現に変化をもたらします。

2017年、アメリカの大手通信社であるAP通信がそのスタイルガイドにて、英文記事の配信における新ルールを加えました。

それは「性的に中立な単数形代名詞として they を使用することを認める」というものです6)

もともと、たとえば “Everyone has something they don't like.” のように、性差をなくし男女共通に使えるという観点での単数形の they の用法はありました。

今回の新ルールは、男女という2つの性別に限ったものではなく、男性でも女性でもないという性自認を持つ1人の人について使われるというものです。

日本の毎日新聞でもこのニュースが取り上げられていました。

「he」(彼)とも「she」(彼女)とも呼ばれたくない人を指す時に「they」を三人称単数で使うことを認める--。米国のAP通信が、配信記事の英文表記にこんな新ルールを加えた。

(出典:毎日新聞 2017年5月18日の記事より7)

この単数形の they の用法にまだ馴染みのない日本人にとっては、文法的に間違っていると判断してしまう方が多いかもしれません。そうした懸念は英語圏にもあり、英語の混乱を招くという反対論も存在します。

そのためAP通信のスタイルガイドによると、その they の使用は、あくまで本人が使用を望んだ場合かつ明瞭に単数だと伝わる場合に限られるようです。

とはいえ、2019年9月にアメリカの出版社であるメリアム=ウェブスター社が、その辞典に they の定義を新たに追加したことは、単数形の they が社会一般の言葉として認められつつあるということでしょう8)

3 c. used to refer to a single person whose gender is intentionally not revealed
(執筆者試訳:性別を意図的に明らかにしない1人の人を指して使われる)
3 d. used to refer to a single person whose gender identity is nonbinary
(執筆者試訳:ノンバイナリーなジェンダーアイデンティティを持つ1人の人を指して使われる)
*執筆者注:ノンバイナリーとは、男性女性という2つの性別にとらわれない性自認のこと

なお、同辞典では動詞は複数形を取るとしており、単数形の they であっても “they is” や “they has” とはなりません。

さて、翻訳においては、どういったことに気をつけるべきか。

第一に、they が複数ではなく単数の人を指しているということを読み取らなければなりません。

文脈から離れずに文章を読み、単なる字句の置き換えではなくきちんと翻訳しようとしていれば誤読はしないはずですが、よりいっそうの注意を払う必要があります。

訳出においては、英日翻訳(英語から日本語への翻訳)ではもともと、日本語の根本的な性格によるものなのかもしれませんが、「彼(ら)」や「彼女(ら)」といった訳出はあまりしません。代名詞を「彼(ら)」や「彼女(ら)」と訳出すると、とたんに不自然で読みにくくなる場合が多いです。

そのため、あえて代名詞を訳文から隠すことがあります。また文脈によって代名詞がないと分かりにくくなると判断した場合は、「佐藤さん」「佐藤氏」などと元の固有名詞を繰り返したり、「同氏」「自ら」などに置き換えたりします。

よって、今後の翻訳の現場においては、このような訳出をさらに意識的していくことになるでしょう。

日英翻訳においては、文脈や文書の種類によって、単数形の they を使用することをお客様とご相談したり、または使用することをご提案したりしていくことも、今後はあるのかもしれません。

 

言葉は時代とともに

zie / zim / zir / zis / zieself

これらの単語をご存じでしょうか。

これらはWikipediaで性に中立な代名詞として取り上げられています9)。Wikipedia以外には、さっと調べた限りで、南カリフォルニア大学やウィスコンシン大学といったアメリカの各大学のWebサイトにも掲載されていました10), 11))。

見慣れない方も多いと思いますが、それも当然のこと。数社の辞書を調べた限りは掲載されていません。辞書に掲載されている言葉がすべてではありませんが、まだまだ一般的ではないようです。

とはいうものの、上記のアメリカの各大学は、その人自身が選択した代名詞をまわりが使うことの重要性を述べていますし、また、金融機関のゴールドマンサックスでは、お互いを尊重し配慮ある職場環境をつくるために、性に中立な代名詞の使い方について具体的に伝えています12)

こうした動きがあることをみると、こうした代名詞の使用がより一般的になるのも、近い将来のことかもしれません。

***

このようにして、言葉は時代とともに変化していきます。繰り返しになりますが、ここに挙げたのはほんの一例に過ぎません。

そうした言葉の変化は、私たちがよりよい未来を描いて行動し、変わっていくことから生まれます。

つまり言葉の変化には、未来への想いがあります。

翻訳は、時代の変化とともに変わっていく言葉を見つめることができ、そして未来への想いにも触れることができる仕事です。

そうした翻訳を仕事としている自分は、大げさに言って変化の証人の心持ちがするのと同時に、多くの人が描く未来を言葉で紡ぎ出すことの難しさと重要性を、再認識しています。

 

執筆:田村嘉朗
大手通信会社ロンドン支社勤務を経て、2013年より翻訳者として活動
専門は通信、マーケティング

参考URL
1) 毎日新聞2020年9月28日:日本航空「Ladies and Gentlemen」廃止 性的マイノリティー配慮
https://mainichi.jp/articles/20200927/k00/00m/040/212000c
2) CTV News: Air Canada staff will no longer greet 'ladies and gentlemen' onboard planes
https://montreal.ctvnews.ca/air-canada-staff-will-no-longer-greet-ladies-and-gentlemen-onboard-planes-1.4636694
3) The Independent: EasyJet swaps 'ladies and gentlemen' for more gender inclusive language
https://www.independent.co.uk/travel/news-and-advice/easyjet-gender-neutral-inclusive-language-trans-ladies-gentlemen-a9258961.html
4) Newsweek: "Ladies" and "Gentlemen" Banned by NYC Transit
https://www.newsweek.com/men-and-women-no-longer-exist-according-nyc-subways-708252
5) BBC: Tube to change 'ladies and gentlemen' announcements
https://www.bbc.com/news/uk-england-london-40591750
6) The Washington Post: The singular, gender-neutral ‘they’ added to the Associated Press Stylebook
https://www.washingtonpost.com/news/morning-mix/wp/2017/03/28/the-singular-gender-neutral-they-added-to-the-associated-press-stylebook/
7) 毎日新聞2017年5月18日:theyの三人称単数OK 性的少数者に配慮
https://mainichi.jp/articles/20170519/k00/00m/040/025000c
8) Merriam-Webster
https://www.merriam-webster.com/dictionary/they
9) Wikipedia: Gender neutrality in languages with gendered third-person pronouns
https://en.wikipedia.org/wiki/Gender_neutrality_in_languages_with_gendered_third-person_pronouns
10) University of Southern California: LGBTQ+ Student Center
https://lgbtrc.usc.edu/trans/transgender/pronouns/
11) University of Wisconsin-Milwaukee: Lesbian, Gay, Bisexual, Transgender, Queer Plus (LGBTQ+) Resource Center
https://uwm.edu/lgbtrc/support/gender-pronouns/
12) Goldman Sachs: Bringing Your Authentic Self to Work: Pronouns
https://www.goldmansachs.com/careers/blog/posts/bring-your-authentic-self-to-work-pronouns.html